「日銀理論」を取り戻そう

貨幣乗数理論を否定するイングランド銀行

しかしながら、「米英等の中央銀行は、期待インフレ理論に基づいた世界標準の金融政策を採用している」という岩田氏の認識自体がそもそも誤っています。それを端的に示すのが、イングランド銀行が先月発行した2014年第1四半期報にある、「Money creation in the modern economy(現代経済における貨幣創造)」という記事です。
その要旨は、

  • マネーストックの大半を占める民間預金は、民間銀行がお金を貸す際に、借り手の預金口座残高を融資額分増やすことによって、主に発生する。それは「預金されて入手したお金を貸し出す」という教科書の説明とは逆の順序である。
  • マネタリーベース量と貨幣乗数によってマネーストック量が決まる訳ではなく、逆にマネーストック量に見合った需要に応じてマネタリーベース量も決まる。このプロセスにおいて、中央銀行は短期金利のコントロールによって究極的にはマネーストック量の上限を決定できるが、短期金利が事実上の下限に達した時には経済をそれ以上刺激できない(すなわち、マネーストックを自由に増やすことはできない)。
  • 量的緩和は主に民間銀行以外からの資産購入を通じて資産価格上昇を促すことで、資金調達コストを低下させて経済を刺激するための政策である。
  • 量的緩和の副産物としてマネタリーベースが拡大するが、それは貨幣乗数理論が想定するように、貸出やマネーストックを機械的に増大させるものではない。

というもので、貨幣乗数理論(外生的貨幣供給理論)を明確に否定すると共に、量的緩和政策は資金調達コストの低下が目的で、マネタリーベース拡大を狙ったものではないと述べています(従って、明言こそしていませんが、「インフレ期待」というあいまいかつ貨幣乗数理論と結びついた効果を目的としている訳でもない、というのが論理的な帰結です)。
そして、こうした見解は従前からの日銀関係者の見解のみならず、下記の通り、欧米主要国中央銀行の関係者の見解とも合致しています。

Why Are Banks Holding So Many Excess Reserves?(ニューヨーク連銀のスタッフレポート、2009年7月)
Challenges to monetary policy 2012(欧州中央銀行ヴァイス・プレジデントによるスピーチ、2011年12月8日)

なお、イングランド銀行の四半期報で述べられている「マネーストック量は民間銀行の貸出行為によって決定する」という考え方は「内生的貨幣供給理論」と呼ばれ、下記はそれを図示したものです。そこでは「マネタリーベースの拡大が自動的にマネーストックの拡大につながる訳ではない」という、貨幣乗数理論とは反対の結論になります。

【図2:内生的貨幣供給理論のイメージ】

図2:内生的貨幣供給理論のイメージ
実証的に見ても、岩田氏が「日本銀行デフレの番人」にて、いわば「世界標準の金融政策によるイングランド銀行の成功の証」として提示した、英国のマネタリーベースと消費者物価指数の推移を示したグラフ(対象期間:2008年8月~2012年1月)を直近まで引き延ばして再現してみると図3のようになり、マネタリーベース拡大がインフレ期待に結びついていないことは明らかです。

【図3:英国のマネタリーベースおよび消費者物価指数の推移(2008年8月~)】

図3:英国のマネタリーベースおよび消費者物価指数の推移(2008年8月~)

同様なことはアメリカについても言えます。図4もやはり、「日本銀行デフレの番人」で提示されたグラフ(対象期間:2008年8月~2012年2月)を直近まで引き延ばして再現したものです。

【図4:米国の超過準備額および消費者物価指数の推移(2008年8月~)】

図4:米国の超過準備額および消費者物価指数の推移(2008年8月~)

「FRBが期待インフレ理論に基づいて政策を行っている」というのも明らかなミスリードです。図4にも示した通り、2012年12月12日のFOMC(連邦公開市場委員会。米国金融政策の最高意思決定機関)を終えた後のスピーチで、当時のバーナンキFRB議長自身が、「中央銀行のバランスシート(=マネタリーベース)拡大自体が、インフレ期待に効果があるものではない」(32ページ参照)と発言しています。
期待インフレ理論については、もともとの提唱者であるポール・クルーグマンですら、既に「インフレ期待を実現するのは難しく、むしろ財政政策の方が有効である」という見解に傾いているような状況であることは、拙稿「根拠に乏しいインフレターゲット論」で述べた通りです。
そもそも、期待インフレ理論にとっても大前提となるはずの貨幣乗数理論が長期的に見ても機能しないことは、海外の例を引くまでも無く、日本の実例から明らかです(図5参照)。10年、20年が長期ではない、というのなら話は別ですが。

【図5:日本における「貨幣乗数」関連指標の推移(1970年~)】

図5:日本における「貨幣乗数」関連指標の推移(1970年~)

以上より、「日銀理論なるもの」(日銀自身が「日銀理論」という名称を用いている訳ではないので、あえてこう呼んでいます)の方がむしろ現実に妥当しており、岩田氏をはじめとするリフレ派の日銀批判は極めて根拠に乏しいものであることは明らかでしょう。

→ 次ページ:「融緩和に偏重した政策では、問題解決につながらない」を読む

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西部邁

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コメント

    • うずら
    • 2014年 5月 04日

    貴重な論考をお示しいただき勉強になりました。

    リフレ派の推進するインフレターゲット論の限界(というより、能力を発揮すべき領域)は、「量的緩和政策は資金調達コストの低下が目的で、マネタリーベース拡大を狙ったものではない」という点に全て凝縮されていますね。

    彼らは、「調達コストの低下」がもたらす『期待』を過大に評価あるいは、誇大に喧伝し過ぎでしょう。

    日銀の国債直接引受け政策ならともかく、現状のように、財政支出の蛇口を固く締めたまま、既発債の名義を日銀に移動させるだけの緩和政策では、マクロ経済を成長させる迫力を著しく欠くことになりますね。
    (それでも、政府の実質的借金を減らす程度の効果はあるでしょうが・・・)

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