「民主主義は最悪な政治といえる」という言葉の真意
- 2014/2/7
- 思想
- 西部邁
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また、このような構造は、学校という小集団のみならず、社会全般に適用されます。
そうした抑圧と反逆の混ぜ合わせとしてのマスコミ世論は、日本のこの世紀の変わり目において、ほとんど敵なしの横暴ぶりをみせつけている。多数者が世論という名のきわめて押しつけがましい意見を社会にあてがう。(中略)
最近はそうしたマスメディアによる世論の支配にたいして批判が高まってきていて、マスメディアは第四権力である、という見解がしばしば発表されている。しかし、マスメディアは第四の権力であるどころか、第一権力にほかならないのである。社会の構造として、民衆政治とは世論にもとづいて行われる政治のことである。そのもとづき方については、世論調査の影響とか住民投票とか総選挙といったようにさまざまな場合があるのだが、ともかく根底的には世論にもとづいて政策が決められるのであるから、いわば論理必然的に、世論を動かす力を持っているものが第一権力を握っていると断言して構わない。
第一権力が自己のもの以外の一切の権威とそれに由来するあらゆる権力に攻撃を加えるときに何が起こるか。それは、いうまでもなく、社会秩序の瓦解である。いや、攻撃する対象がなくなったら、第一権力の存在意義もなくなる。それで、まずある権威・権力を持ち上げたり捏造したりして、次にそれを破壊する、といういわゆるマッチポンプがこの第一権力の常套手段となる。
(『国民の道徳』西部邁 P300)
思えば、小泉改革以降、日本は常にこのようなマスコミのマッチポンプの手段に乗せられてきたと言えるでしょう。「郵政が悪い」「官僚が悪い」「自民党が悪い」「土建が美味しい汁を吸っている」と、彼らを叩けば効率が良くなるというマスコミ世論に乗せられ、ひたすら叩き続けたのです。誰かが既得権益に乗っかって美味しい汁を吸っている、だからそいつらを叩きつぶせばきっと自分たちが楽になるのだと考えてひたすら集団でいじめてきたわけです。民主党の前原誠司はTPPの議論で、「農業は国内総生産GDPの1.5%に過ぎない。この1.5%を守るために、98.5%の産業を犠牲に出来ない」と述べ、これをTPP賛成の根拠としていましたが、これなどは典型でしょう。ひとたび、農業が日本の産業の足を引っ張っているという世論を形成してしまえば、あとは簡単です。1.5%の農業に対して、残りの98.5%が「われこそは多数派なり」という世論を引っさげて、潰しにかかれば、農業団体などはひとたまりもないでしょう。そうして、結果的に、農業団体はさして効果的な反対運動もできないままに政府のTPP交渉参加を許してしまいました。
このように、多数こそ正義なりという民主主義の理想のもと、世論を先導するマスコミという特定の利益集団が、自らの存在意義を存続させるという目的のために、次々に社会的な集団やコミュニティーを敵対視し、破壊していくというなんともグロテスクな構図を生み出してきました。
権力を監視し、批判を加えるという大義名分を掲げてきたマスコミは、権力を徹底的に批判することで、その権威を失墜させた結果、自らの存在意義を失い、そして今度は、自らの世論を先導するという権力を保持したままに、特定の権威・権力を捏造し、それを叩き潰すという行為によって自らの存在意義・存在価値をも捏造してきました。あるいは、マスコミという団体は、外の権威・権力を捏造できなくなったとき、それまで向けてきた大衆による外部の特定団体への敵意が一気に自分たちの団体へと向けられるかもしれないという驚異を密かに感じ取っているのかもしれません。
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