建設的な議論のために
- 2014/1/21
- 思想
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批評ではない評価の場合
議論には批評が必要なことを理解するためには、批評の要件が満たされない場合にどうなるのかを考えてみることが便利です。批評は、「明確化された対象を客観性のある根拠を示して評価(肯定/否定)すること」ですから、批評ではない評価には、次のようなパターンがあることになります。
(1)対象を明確にしていない
(2)客観性がない(主観的である)
(3)根拠がない、もしくは、根拠が曖昧である
これらのパターンで否定することは、端的に悪口だと言ってしまってよいでしょう。
悪口は批評ではありませんから、検証可能ではありません。悪口を言う者は、検証可能でないような方法で否定を行っているわけです。そのため、悪口を言う人の心理には、自分は相手を否定したいけど、自分は相手から否定されたくないという動機が往々にして隠されているものなのです。悪口は、このような都合の良い仕組みを備えています。ちょっと個別に検討してみましょう。
まず(1)の場合を考えてみます。この場合、悪口を言うやつは、自分が悪口を言いたい相手をはっきりさせずに否定的なことを言うわけです。この行為の性質上、不特定多数の人たちへ悪口を言いふらすことになります。その不特定多数の中に、いじめたい相手がいるわけです。この方法は、ある意味で悪口の高等テクニックだと言えます。悪口を言われたと思った相手は、当然ながら不快な気持ちになるわけですが、名指しされていないので反論しづらいわけです。勇気をもって反論したとしても、「君のことじゃないよ。何? 自意識過剰?」などと言われれば黙るしかなくなります。素朴な人なら、そう言われたら罪悪感を抱いてしまうかもしれません。
ちなみにこのような悪口の場合、その悪口の内容に当てはまる複数の人物が、自分が非難されたと思ってしまう可能性があります。その内容に当てはまらない人でも、このような悪口のやり口に嫌悪感を抱く人もいるでしょう。そういった意味で、かなりの負の感情を拡散させてしまう行為だと言うことができます。
次は、(2)です。単純な場合では、「たいしたことないな」とか、「面白いとは思わない」などと言うわけです。そういった行為に文句を言っても、「だって、そう思ったんだもん。何? 感想いっちゃいけないの?」などと言い返されるわけです。実にむかつきますね(笑)。
複雑な場合では、客観的に見えるような文書を並べた上で、結局は主観でしかない意見で否定するという方法があります。前置きでグダグダと長ったらしくそれらしいことを述べておくと、結論が主観でしかなくても気づかれにくくなるものなのです。注意が必要ですね。
最後に、(3)です。特に、根拠が曖昧な場合には注意が必要です。例えば、「経済について分かってないな」などのように学問的な大枠で否定する場合や、「ニーチェくらい読んでから言えよな」などのように権威となる人物を利用して否定する場合などです。こういった言い方は、あまりに抽象的すぎるので効果的な反論が難しいわけです。それでも、まともな人が頑張って論理を詰めて反論したとしても、「そういう意味で言ったんじゃないし」などと言い逃れができてしまうわけです。
この(3)も、ある意味で高等テクニックです。どうとでも取れるように言っておいて、相手の出方次第で戦略を変えるわけです。論破されそうになっても、「君の言ったことくらい分かってるよ。私が言いたかったのは、そうじゃなくて、別の何々のことなんだよ」などと言えば良いわけです。こちらが間違っていたことをごまかせますし、それどころか、相手が見当違いのことを言っていたように見せかけることができるわけです。
これらの(1)~(3)の悪口は、現代ではネット空間でいくらでも見つけることができます。
肯定と否定の非対称性
ここで、肯定したり否定したりする「評価」について少しだけ述べておきます。
物事の評価において、肯定と否定は同値ではないように思えます。分かりやすいと思うので、批評でない場合で例を示します。「君はイケメンだと思うよ」と言ってもほとんど問題になりませんが、「君はブサイクだと思うよ」と言えば険悪になってしまいます。前者はほめ言葉であり、後者は悪口ですね。
もちろん、根拠なく褒め称える行為が怪訝に思われるような場合などもありますが、基本的には肯定が問題視されることはあまりないということは言えそうです。
つまり、肯定と否定には非対称性があるのです。そのため、否定するという行為には注意が必要になるのです。当たり前の話ですね。
ですから、肯定的な感想を言うことが咎められることはほとんどありませんが、否定的な感想には嫌悪感を抱かれる場合が多いということは認識しておくべきでしょう。
また、肯定か否定の二者択一ではなく、「分からない」とか「回答は保留したい」と言うことも、もちろん重要です。建設的な議論のためには、無理に結論を出すのではなく、次回以降へ繋げることも考えておいて然るべきなのです。
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