思想遊戯(5)- 桜の章(Ⅴ) 散る桜

第四項

 塾の講義後の飲み会で、僕は三宮先生に相談してみることにした。三宮先生には、他の塾生を含めて話をしたい人が多いので、会話の隙間を待って接近した。
智樹「先生。」
三宮「んっ? 何だい?」
智樹「少し、お話させていただいてよろしいでしょうか?」
三宮「うん。」
 僕は、持ってきたビール瓶を抱える。
智樹「あっ、お注ぎします。」
三宮「ありがとう。」
 僕は、先生が一息つくのを待ってから質問した。
智樹「三宮先生、虚無って何でしょうか?」
三宮「キョム? 虚ろな無と書く虚無のこと?」
 先生の問いかけに、僕は自信なげに応えた。
智樹「そう、だと思います。」
三宮「思うって、どういうこと?」
智樹「これを見てください。」
 そう言って、僕は鞄の中から石を取り出した。
三宮「それは何かな?」
智樹「石です。おそらく、何の変哲もない。」
三宮「ふむ。」
智樹「ある人が僕に言ったんです。この石が虚無だと。」
 先生はしばらく僕を見ていたが、不意に面白そうに笑って言った。
三宮「それ、どういうシチュエーションだったの?」
 僕は、ゆっくりと思い出しながら語った。
智樹「僕とその人は、最近知り合ったんですが、その人はとても頭のいい人なんです。それで、えっと、数日ほど前になるのですが、僕が図書館で本を読んでいるときに、話しかけられたんです。」
 先生は、そこでにっこり笑って言った。
三宮「もしかして、そこで読んでいた本って、ニーチェ?」
 僕は驚いた。
智樹「・・・・・・正解です。『ツァラトゥストラはこう言った』です。」
三宮「なるほど。それで?」
智樹「その後、二人で散歩してたんですけど、その人は道ばたの石を、つまりこの石なんですが、これを拾って言ったんです。この石は、虚無だと。」
 先生は、真剣に僕の話を聞いてくれた。
三宮「その人は、何でそんなことを言ったのですか?」
智樹「それが分からないんですよ。でも、その人は、ギャグとかジョークとかでそんなことを言う人ではないので、何らかの意味があると思うんですよ。」
 僕は、正直に思っていることを述べた。先生は、少し考え込んでから、手帳を出して何か書き出した。僕はのぞき込む。
 先生は、手帳を開いて「石 = 意志」と書いた。その「意志」の下に、下向きの矢印を書き、そこに「虚無主義 = ニヒリズム」と書いた。

      石 = 意志
           ↓
         虚無主義 = ニヒリズム

三宮「推測だけど、その人は、そのときの君の意志が、ニヒリズムだと指摘したんじゃないかな?」
 先生は、一葉さんの行動についての仮説を提示してくれた。僕は、先生が示してくれた考え方に感銘を受ける。
智樹「なるほど。そうですね。でも、すごいですね。先生、なぜ、そこまで分かるのですか?」
 先生は、ビールを飲んでから応える。
三宮「私にとっても、ニーチェは気になる思想家なのです。それに、ニヒリズムをどう克服するかというのは、私にとって大きなテーマの一つなんですよ。」
 先生は、そう言って笑った。ああ、こんな先生もいるんだ。僕は嬉しくなった。

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西部邁

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