世界一「同質的」な日本の大学生たち ~なぜ大学から多様性が消えたのか~
- 2016/1/7
- 国際, 教育, 社会
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世界で最も「均一」な日本の大学生たち
一方で、日本の大学環境はどうでしょう。
学生に多様性は存在するのでしょうか。
日本の大学新入生の平均年齢は18歳、新入生の85%が高校から大学にストレートに入学しています。
25歳以上の入学者割合に至ってはたったの2%、これはOECD平均の19%と比べると十分の一程度しかありません。
ちなみにアメリカは23%、スウェーデンは30%、オーストラリアは26%の新入生が25歳以上です。
「年齢」という切り口から言えば、日本は世界で最も学生の多様性がない国のひとつと言っても過言ではないでしょう。
年齢が均一だということは、経てきた経験もまた均一にならざるをえないということです。
日本の大学新入生は、「学生」としての生活しか人生で経験したことがありません。
労働者として、父親・母親として、専従のボランティアとして、起業家として、そういった様々な「社会人」としての経験をほぼ誰も積んでいません。
自然科学の分野を究めるなら、それもまた問題ないのかもしれません。
実際、海外でもサイエンスの分野においては若くして進学した人が業績を残す傾向にあります。
しかし、人文学、社会科学の分野を学ぶ上で、「学生」としての経験しか持っていないということは時として大きなハンデになります。
人間社会に存在する多くの問題に取り組むとき、それらの問題について本で読んだ知識しか持たない学生が、果たしてどれほどの情熱を傾けられるでしょうか。どれほどの問題意識を抱けるでしょうか。自分だけでなく、同級生全員が社会経験を有していないのです。そんな教室で活発な討論や研究を行おうとしても、そこには必然的に困難がつきまといます。
また、大学で学んだ経験を何らかの形で社会に還元していこうというときにも、日本の大学にはハードルが存在します。
想像してみてください。
あなたは経営学を専攻する大学生で、今はアントレプレナーシップについての講義を受けています。
講義を進めていく中で、あなたは画期的なビジネスのアイディアを思いつきました。
このアイディアについてクラスメートと話し合いたい、実現性や収益モデルの可否について意見を聞きたい、当然そう考えることでしょう。
しかし、クラスには19歳の、何の社会経験もない学生たちがいるだけなのです。「いいんじゃない」「良さそう」そんな意見はもらえるかもしれませんが、経験に根付いた実際的なアドバイスは期待できそうにありません。
それがもし、クラスの3分の1が社会経験を有している、平均的なOECD諸国の大学ならどうでしょうか。
クラスメートには営業や経理や開発において社会人としての経験を積んだ学生が豊富にいます。彼らと少し話せば、現実のビジネスとすり合わせる上での問題点を指摘してもらえたり、モデルの斬新性を確認したりといった成果が期待できそうです。
まさにジョン・ヘネシー氏の言うように、多様性があるからこそ「他の学生から学ぶ」ことが可能になるわけです。
日本発の大学ベンチャーはこれほど大学・政府が力を入れて推進しているにも関わらず、 質量ともに海外に大きく水を開けられています。
もちろんベンキャーキャピタルの規模や就活の早期化という原因もありますが、学生の均一性という要因も決して無視できるものではありません。
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