TPPはなぜ妥結すべきでないのか

 日本もコメや牛肉などで懸命に闘っているではないかという反論があるかもしれません。しかしコメに関しては、アメリカはこれまでどおりWTOで決められた日本の輸入枠年間70数万トンを守ってくれと言っているだけで、別にもっと増やせとか関税を下げろなどとは言っておりません。
 またそもそもこの交渉の要は、眼に見えやすい農産品にかかわるいわゆる「関税障壁」の撤廃にあるのではありません。アメリカはそういうことを特に求めているのではなく、眼に見えにくい他国の制度面の規制、いわゆる「非関税障壁」の撤廃を狙っているのです。現にアメリカは、製造業では到底日本に勝てないので、日本に対する自国の自動車関税2.5%を執拗に守ろうとしていますし(日本はアメリカに対してゼロ%)、その他自国の弱い部分に対しては、しっかり保護貿易的態度を取り続けているのです。
 ではいわゆる「非関税障壁」と彼らが呼ぶものは何か。すでに多くの論者が指摘しているにもかかわらず、驚くべきことに日本のマスコミは、右から左まで、これについてまったくといってよいほど報道しません。アメリカやアメリカの息のかかった官僚、政治家から圧力がかかっているのか、それとも単なるバカなのか。
 おかげでTPP交渉といえばコメや牛肉や乳製品の輸入にかかわる関税交渉のことだと思っている日本人がほとんどなのではないでしょうか。それも大事でないことはありませんが、もっと恐ろしいのは、アメリカがこの交渉の妥結を、日本の公的制度解体のための重要な布石と見なしていることなのです。おまけにこの「非関税障壁」にかかわる条項や要求が交渉の現場で議論されているのかどうか、私たちの耳にさっぱり入ってきませんから、日本側も問題ないものとしてスルーしてしまっているのではないかという危惧が募るわけです。
 まず最も危険なのがISDS条項です。これは私企業が、自分の利益追求にとってある国の政策や制度が障害になるとみなした場合には、それをICSID(投資紛争解決国際センター)などの国際裁判機関に訴えることができるというルールです。これは一国の主権を脅かすもので、国家よりも他国の私企業の権利を上位に置くという意味では、国連の原則にも反しています。しかも国際裁判機関となれば、原告側はいくらでも自分たちに有利な法曹界の専門家をそろえることが可能でしょう。いわんやあの訴訟王国アメリカにおいてをや。
 ノーテンキな日本人の中には、日本がISDSで訴えられたことはこれまで一度もない(他国にはあります)、それは、日本が外資規制をおかずに平等に扱うからだなどという人がいますが、TPPという大きな条約が成立したらどんな規制に対しても撤廃を要求してくる可能性があります。
 何よりも、外資規制をおかずに自国企業と他国企業を平等に扱うということは、裏を返せば、外国資本にずかずか入ってこられて、自国の企業が脅かされても平気でいるという無防備さを表しているわけで、現に日本はそうなってきましたね(韓国は米韓FTAなどでもっとひどい目に遭ってきましたが)。
 次に、金融市場と保険市場の領域における開放要求です。特に狙われているのが「かんぽ」と「共済」で、これら政府の息のかかった商品が巨大なマーケットを形成しているのに目をつけ、それが民間セクターと対等な競争関係にないという理屈をつけて、自国(アメリカ)の商業銀行、証券会社、保険会社が参入できるように虎視眈々と準備を整えつつあるのです。
 これが実現すれば、単に外国資本に日本が乗っ取られるというだけではなく、日本独自の共同体精神によって一定の公共性を担保してきた組織が、利潤追求を目的とするだけの組織に置き換えられてしまうわけです。経営方針や経済情勢いかんでいくらでもサービスが劣化することを覚悟しなくてはなりません。
 先ごろ農協改革法案が可決成立しましたが、これなどは「共済」保険や農地取得にアメリカの民間会社が侵入してくるための間口をわざわざこちらから開いてやったようなもので、最近の国会の常態化した愚挙と言わざるを得ません。
 さらに、世界に誇るわが国の皆保険制度がTPPによって危機にさらされます。これも心ある論者が何度も言及しているのですが、TPPが成立すると、アメリカは、まず医薬品・医療機器の価格規制の撤廃・緩和を要求してきます。次に医療特区に限定した株式会社の病院経営、混合診療の解禁、そして同じことの全国規模での解禁へと進むわけです。
 医薬品・医療機器の価格規制が撤廃されると、上限なしの高価な商品が医療システムの中に入り込んできますから、当然、健康保険で賄われている医療費の分が圧迫されます。これは医療サービスの劣化をもたらすでしょう。
 また病院の株式会社化も同じですね。利益の得られない医療行為、過疎地の医療などには目が届かなくなる可能性が大きい。さらに混合診療の解禁は、まさにアメリカのように、高額の自由診療を受けられる富裕層だけが手厚い恩恵に浴することができ、貧困者は見捨てられる運命をたどるでしょう。
 安倍首相は、皆保険制度は絶対に守るなどといっていますが、TPPへの交渉参加自体がすでに蟻の一穴であって、彼はこの条約を締結しながら、どうやって守るのか、その具体策についての考えをまったく聞いた覚えがありません。

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西部邁

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  1. 2014-12-24

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