あきらめこそ勝利の秘訣
- 2015/2/24
- 社会
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「脱原発依存」と「〈脱原発〉依存」
左翼系の運動ですが、反原発を例にとりましょう。東日本大震災によって福島第一原発の事故が引き起こされて以来、「脱原発依存」なるフレーズが使われるようになりました。
反原発を訴える人々は、むろんこれを「原発への依存を脱する」意味合いで唱えているに違いない。とはいえ実際には、「脱原発」のお題目に頼って注目を集めたがる、「〈脱原発〉依存」とも呼ぶべき態度がうかがわれます。
そして「〈脱原発〉依存」をホンネとする者にとり、原発が再稼働するのは良いことなのです! 反原発運動への注目が高まるではありませんか。
反原発に始まった話ではありません。日本の平和運動関係者は、(たとえば)米軍基地の問題が悪化したと聞くと、かえって喜びそうな気配がある、これは一九五〇年代から指摘されていました。
果たして保守派は、このような心理と無縁でしょうか? 保守に限って大丈夫だと構えるのは、保守主義者にあるまじき自己過信です。
事実、「反日勢力の策謀」などをめぐる議論に接すると、反発や怒りに混じって、一種の高揚感がうかがわれます。「ほら見ろ、日本の状況はこれほど悪いんだ。だからわれわれは必要とされているんだ!」という次第。
真の保守は、あきらめから出発すべきなのです。まずは日本の刷新が可能だという夢、もしくは幻想をあきらめる。
ついで「自分は純粋に国のためを思って行動している」というキレイゴトをあきらめる。その上でなお、日本のあり方を良くしてゆく可能性についてはあきらめないのが、保守主義者の取るべき態度でしょう。
「そんな姿勢で日本が保守できるのか?」
と思ったアナタ。実はこれこそ、保守達成のカギです。反原発運動や平和運動をめぐって述べた通り、人間の限界をわきまえないがゆえに、「人間はエゴを捨てられない」と自覚できない者は、自分たちが「挫折に向かう状況」にあることを、ひそかに望むようになるのです。
かつての社会主義諸国において、革命が達成されているにもかかわらず、「反革命分子」に対する警戒がさんざん叫ばれたのは、その良い例でしょう。二十世紀末、社会主義陣営が崩壊したことだって、自覚されざる挫折願望の帰結かもしれません。
社会改革にエゴを託した者は、根底では対立する勢力の存続、いや拡大を望んでしまう。片や真の保守主義者は「あきらめつつ、あきらめない」姿勢を通じて、対立勢力をことさら否定する必要のない境地に至ります。裏を返せば、向こうの存続や拡大も望まずに済む。
結果は明らかではありませんか? 急がば回れ。保守が勝利するための秘訣は、安易な改革志向をあきらめることなのです。
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