あきらめこそ勝利の秘訣
- 2015/2/24
- 社会
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「理想に酔う保守」はあり得ない!ー戦後を頭ごなしに否定すべからず
したがって「保守的な改革を断行すれば、日本のあり方は一変し、見違えるように良くなる」と思ってはなりません。ある時点を境に、従来の社会システムを根本より否定し、新しい理想的なシステムを一から築くことができると信じる態度は、哲学史において「ご破算で願いましては神話」と呼ばれますが、これは十八世紀、進歩主義や啓蒙主義の発達とともに生まれたもので、要するに左翼的な考え方です。
戦後日本のシステムそのものが、戦前の日本を根本より否定し、新しい理想的な国を一から作ろうとする発想に基づいて構築されたものではありませんか。「保守改革による戦後日本の刷新を!」などと唱えるのは、「戦後日本を戦後日本的に変えよう!」と主張するに等しいのです。
のみならず、今や問題だらけに見える戦後日本のシステムも、構築された時点においては、それなりの根拠や必然性をもって作られました。敗戦・占領に伴って生じた、さまざまな事情や制約を踏まえた上で、良い国を作るべく、当時の日本人がベストとみなした選択の積み重ねが、戦後を形成したわけです。
真の保守主義者が、この点を無視して良いはずはない。しかり、戦後日本を頭ごなしに否定してもいけないのです。先行する世代の行ないについて、彼らの抱えていた事情を察することなく侮蔑するのは、「人間は『歴史の進歩』とともに賢くなっているはずだ」という左翼的な発想から生じた傲慢にほかならない。
われわれにしたところで、日本の現状から生じるさまざまな事情や制約を踏まえて、ベストを尽くす以外にないのです。先行世代の限界を知るのは大事ですが、自分自身の限界をわきまえるのも、保守主義者にとって必須の条件と評さねばなりません。
「限界をわきまえる」ことには、人間は自己顕示欲や権力欲といったエゴを捨てられないと自覚することも含まれます。保守的な立場から日本の改革を目指す人々の中にだって、わが国のあり方を純粋に良くしたいと願う気持ちと、「日本を良くしようとする自分」に注目してほしい気持ちの両方がひそむのです。
批判しているわけではありません。社会改革を目指したからといって、いきなり聖人君子になれるはずはない。当たり前のことです。
ただしここで、厄介な問題が持ち上がる。わが国のあり方を良くしたいと願う気持ちより、「日本を良くしようとする自分」をアピールしたい気持ちの方が強いと、しばしば無自覚のうちに、日本の状況が悪いままであることを──つまりは自分が目指す改革の挫折を望み始めるのです。
日本が本当に良くなったら、「日本を良くしようとする人々」は不要になってしまう。社会改革に自分のエゴを託した者にとり、これは都合の悪い顛末といわねばなりません。
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