復帰から四十二年 誰が『沖縄の心』を知っているのか

※この記事は月刊WiLL 2015年1月号に掲載されています。他の記事も読むにはコチラ

日本も分断されていた

 昭和四十七年(一九七二年)五月。沖縄は祖国に復帰した。今年で四十二年目になる。

 しかし、本当に復帰したのか、復帰してよかったのかがここ数年、沖縄では厳しく問われている。単に米軍普天間基地の辺野古地区への移転問題だけではない。

 それはたしかに大問題かもしれないが、それ以前に本土と沖縄との間に一言では言い表せない、対立とまでは言わないまでも微妙なギャップが少しずつ表面化しつつあるように感じられるからである。それは単純に政治的な問題ではなく、本土・沖縄双方向の認識不足のギャップが深く根を下ろし始める兆候であるかもしれない、と筆者は危惧している。

 この小文は、若い方々には初めて知ることとなるであろう、いわゆる「沖縄問題」のそもそもを伝えようとするものである。

 昭和二十年八月十五日を、日本は終戦の日として一つの区切りをつけているが、沖縄はその年の六月二十三日にすでに組織的戦闘行為は終わっており、その日から事実上、米軍政下に置かれ、以降、二十七年間にわたってその状態が続いた。

 昭和二十年九月二日、日本は降伏文書に署名してGHQ(連合国最高司令官総司令部)の統治下に置かれ、主権を失った。そして翌二十一年一月二十九日、「若干の外廓地域を政治上、行政上日本から分離することに関する覚書」がGHQから発せられた。いわゆる、行政分離に関する覚書である。

 これによって、日本の主要島嶼(北海道、本州、四国、九州)を除く約一千の隣接島嶼は日本から分離されたのである(その後、この「約一千の島嶼」は明らかにされたことはない)。この覚書では北方四島、竹島、小笠原群島、北緯三〇度以南の琉球列島等が分離の対象となった。

 つまり北海道、東京都、島根県、鹿児島県のそれぞれの一部と沖縄は本土から分離、分断されたのである。

 先の大戦の結果、三つの分断国家が生じた。

 東西ドイツ、南北ベトナム、南北朝鮮であるが、筆者にはもう一つ、日本も本土と沖縄等が分断されて第四の分断国家が生じたと認識している。本土、沖縄等が、ともに西側諸国に属しているという点では他の三つの分断国家とは異なるものの、行政上は完全に分断されていたという点では共通しており、この事実を見過ごすと、いわゆる沖縄問題の真相を見誤ることになる。

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西部邁

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