村上春樹における文学と政治 ―デタッチメントとコミットメント

【60年代への訣別】

 村上春樹の社会的問題意識と発言のおおもとには、傷ついた孤独な魂からの出発が見て取れる。

いったんどこまでも一人にならないと、他人と心を通わせることが本当にはできないと思う。理想主義は人と人とをつなぐものですが、それに達するには、本当にぎりぎりのところまで一人にならないと難しい。(14年・毎日)

 「傷ついた孤独な魂」と上に書いたが、初期作品群で傷ついた魂はだいたい女性で表現されている。『風の歌を聴け』の「4本指の女の子」であり、『羊をめぐる冒険』の冒頭にだけ登場する「誰とでも寝る女の子」がそうである。『羊をめぐる冒険』で「僕」のガールフレンドとして冒険につき合う「素敵な耳を持つ地味なコールガール」にもやはり傷の匂いが漂っている。『1973年のピンボール』で少し登場する「直子」は後に『ノルウェイの森』で悲しい生を閉じる。

 主人公の「僕」からは傷がうかがえない。「僕」の傷はいつも女性たちに投影されている。

 初期三作を通じての「僕」の親友「鼠」は男性であるが、やはり魂に傷を負っている。『羊をめぐる冒険』で「鼠」は自殺をする。

 初期の作品群では孤独な個人の魂の描写、外界から不条理な暴力によって傷つけられた魂の描写が印象に残る。

 デビュー後2作目の『1973年のピンボール』(1980年)の中では、「僕の良き話し相手であるジェイ(バーのマスター、中国人)の飼い猫(というよりジェイと同居する老友)が外出先で残酷な暴力を受け、「手のひらがマーマレードのようにぐしゃぐしゃに潰れ」て帰って来るエピソードが語られている。ジェイの老友(老猫)は、手が「万力にかけられたような具合」に「まるっきりのペシャンコ」にされ、「誰かが悪戯をしたのかもしれない」と表現されるような悪意に満ちた外界から帰って来るのだ。

 村上春樹が大の猫好きであることはよく知られた事実である。その村上春樹が物語るこのエピソードには、若い頃に彼が抱いていた外界に対する絶望と静かな怒りが込められている。

 村上春樹がデタッチメントのスタンスをとっていた外界では、超大国米ソが東西それぞれの陣営で君臨し、この二大勢力が危険を孕みつつ対峙していた。人々は国家の高い壁の中で守られあるいは抑圧されていた。当時の欧米や日本など先進諸国の学生たちの間で展開された激しい活動は、この大きな壁に対する反逆だった。1960年代後半の日本の学生運動は「ヴェトナム戦争反対」と「産学共同体粉砕」を大きなテーマとしていた。

 1968年に大学に入学した村上春樹は、この活動に奔走している学生たちに冷ややかな目を向けていた。軽蔑していたといっても過言ではないだろう。

学生運動はその当時とても大きなムーブメントだったし、やはりその影響はあると思います。それは僕に「言葉への信頼の喪失」みたいなものをもたらしたかもしれません。どんなに威勢のよい言葉も、美しい熱情溢れる言葉も、自分の身のうちからしっかり絞り出したものでないかぎり、そんなものはただの言葉に過ぎない。時代と共に過ぎ去って消えていくものです。(村上春樹インタビュー集1997-2009より。台湾メディアでの初出は1998年)

 『ノルウェイの森』(1987年)では主人公の恋人「緑」が語っている。舞台は1968年である。

そのとき思ったわ、私。こいつらみんなインチキだって。適当に偉そうな言葉ふりまわしていい気分になって、新入生の女の子を感心させて、スカートの中に手をつっこむことしか考えてないのよ、あの人たち。そして四年生になったら髪の毛短くして三菱商事だのTBSだのIBMだの富士銀行だのにさっさと就職して、マルクスなんて読んだこともないかわいい奥さんもらって子供にいやみったらしい凝った名前つけるのよ。何が産学共同体粉砕よ。おかしくって涙が出てくるわよ。

 村上春樹の処女作『風の歌を聴け』(1979年)は1970年を舞台としている。そして2作目の『1973年のピンボール』(1980年)は1973年を、『羊をめぐる冒険』(1982年)は1978年をそれぞれ舞台としている。60年代への訣別から村上春樹の文学はスタートしているといえよう。

 『羊をめぐる冒険』のプロローグともいうべき短い第一章は69年から70年にかけての回想となっている。

そしてあの不器用な一九六〇年代もかたかたという軋んだ音を立てながらまさに幕を閉じようとしていた。(同書第一章)

 「僕」が69年の秋に出会った「誰とでも寝る女の子」は、彼女のほぼ予言どおり、78年に26歳で死ぬ(交通事故死)。

 そして『羊をめぐる冒険』の幕が切って落とされるのだ。

 60年代の大きなパラダイムの中でこそ存在し得た弱い「鼠」はこの物語の中で自殺し、「悪(羊)と対峙した「僕」の物語は大団円へと向かう。「やれやれ」と首を振りながら、デタッチメントのスタンスは保持されるが。

 「鼠」の自殺は村上春樹においてひとつの結着だが、僕の「影」ともいうべき「鼠的なるもの」はこの後の作品にも登場する。

→ 次ページ「オウム真理教事件が与えた衝撃」を読む

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西部邁

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コメント

    • 吉田勇蔵
    • 2014年 12月 14日

    〔訂正〕
    p.5【オウム真理教事件が与えた衝撃】の章で上から7行目に「1978年の時点で」とありますが、正しくは「1982年の時点で」です。筆者の誤記です。訂正します。

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