村上春樹における文学と政治 ―デタッチメントとコミットメント
- 2014/12/9
- 社会
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【村上春樹のナショナリティ】
いわゆる保守派の論客のなかには、村上春樹を毛嫌いしている人たちが少なくない。作品をほとんど読まずに、無国籍のコスモポリタンというレッテルを貼っているのだ。
だが文学者村上春樹の出発点は、彼自身も認めているように、日本の文化にあった。
冒頭で触れたJ・マキナニーとの公開対話(1991年)で村上春樹は語っている。
たしかにある意味ではそこにはノン・ナショナリティーみたいなものがあるかもしれない。でも僕自身は決してノン・ナショナリティーを追求しているわけではないんだ。(中略)僕がまずだいいちに書きたいのは日本の社会なんだ。僕はその社会を、あるいはそれをニューヨークだかサン・フランシスコに場所を変えたとしても通用するという視点から書きたいんだ。あるいは、こう言えるかもしれない。僕はいわゆる「日本的なものをどんどん放り出していって、そのあとにどうしても残る、これ以上はもう放り出せないという日本的特性を描きたいんだ(前掲「すばる」より。原文は英語。訳・村上春樹)
では村上春樹の出発点となった日本はどのような社会だったのだろうか。
村上春樹が少年期を過ごした1960年代の芦屋、神戸には、アメリカンポップカルチャーの心地よい空気が漂っていた。米軍基地など近くにはない空気だけのアメリカだ。村上少年はそのような環境下で日々ジャズを聴き、ロックを聴き、ペーパーバックの古本を大量に読みとばしていた。
『風の歌を聴け』に地名の固有名詞や方言は一切書かれていないが、そこにはアメリカンポップカルチャーの空気が漂う60年代の芦屋や神戸の心象風景が色濃く反映されている。これが村上春樹の原風景だ。
日本にとって60年代は比較的平穏な時代であったが、その平穏さは欺瞞のうえに成り立っていた。敗戦を終戦と言い換え、サンフランシスコ講和条約中の文言「Japan accepts the judgments・・・」(日本は諸判決を受け入れ)を「裁判を受け入れ」と意図的に誤訳をするような精神の欺瞞のうえに立って齢を重ねてきた敗戦国民日本人の、欺瞞を代償にして得た平穏さだった。『閉された言語空間』(江藤淳)でのマインドコントロールを受け、その呪縛が解けないまま欺瞞を重ねていた60年代であったのだ。
【村上春樹の歴史感覚】
孤独に井戸の底の底まで沈潜し、壁抜けをし、上がって来た村上春樹に見えてきた世界は、多くの戦後日本人が共有してきた凡庸な歴史観と国家観の眼鏡を通して見える世界でしかなかったようだ。凡庸な歴史観と国家観とは、日本は不道徳な戦争をしその責任をあいまいなままにしているとか、国家は個人に対置して捉えるべき存在であるとか、ナショナリズムは即ち排外主義に等しい悪であるとかの思い込みをいう。
そこには、前にも少し触れたように、縦の時間軸を持った歴史観がない。
この縦軸はよく見ると直線ではない。歴史は繰り返し、しかし元と同じではなく、螺旋を描いて縦に進むのだ。季節はめぐり、つまり回帰し、今年も去年と似たような花が咲く。そして「年年歳歳花相似れど、歳歳年年人同じからず」なのである。
村上春樹が少年時代から歴史に強い興味を持っていたことは先に述べたとおりである。作品においても歴史への関心は底流に確かに認められる。
河合隼雄との対談で村上春樹は次のように語っている。
ぼくが思ったのは、日本における個人を追求していくと、歴史に行くしかないんじゃないかという気がするのです。うまく言えないんだけど。というのは、現代、同時代における個人というのをもし描こうとしても、おっしゃるように日本における個人というものの定義がすごくあいまいなのですね。ところが、歴史という縦の糸を持ってくることで、日本という国の中で生きる個人というのは、もっとわかりやすくなるのではないかという気が、なぜかしたのです。(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』1996年)
そうすると、また自分のなかの第二次世界大戦というものを洗い直さなくてはならないですから、これもけっこうきつかったです。でも、一つひとつ考えていくと、真珠湾だろうがノモンハンだろうが、いろんなそういうものは自分のなかにあるんだ、ということがだんだんわかってくるのですよね。(同前書)
「自分のなかにある」歴史上の出来事という捉え方は、心の深層で人類は歴史を共有しているという感覚による。それはユング心理学のいう集合的無意識に通じるものだ。村上春樹がユング心理学の碩学であった河合隼雄と何度も対談を繰り返し、肝胆相照らしている姿には首肯できるものがある。
心の深層で村上春樹の創作は壁抜けをする。それはかならずしも空間的な壁抜けだけを意味しない。時間的にも壁抜けをするのだ。『ねじまき鳥クロニクル』の中で、1938年のノモンハンで深い古井戸の底に落ち込んだ間宮中尉(当時少尉)が1984年の「現代」で長い話をする。それが村上春樹の歴史感覚である。心の深層で時空を超越した「歴史」があるのだ。
これでは縦の時間軸と横の世界軸によって形成される象限の中で現代日本を把握することは困難だろう。
『羊をめぐる冒険』の続編の側面を持つ『ダンス・ダンス・ダンス』(1988年)の中で「僕」は言っている。
羊男は肯いた。「じゃあ、まだ次の戦争は始まっていないんだね?」
羊男の考える「この前の戦争」がいったいどの戦争を意味するのかはわからなかったけれど、僕は首を振っておいた。
本稿の前半で「先の戦争」と書いたが、そんな言葉は村上春樹には無意味なのである。歴史は縦の時間軸に沿って理解すべきものではなく、「この前」も「前の前」も無意味な言葉なのだ。村上春樹にとって歴史は人類の集合的無意識層で水平的に共有され、つまり史実は「自分のなかにある」ということになる。村上春樹が対談で言っている「縦の糸」は、時間軸ではなく、お釈迦様が垂らした「蜘蛛の糸」のようなものだ。
だからなのだ。先の戦争への価値判断を棚上げしたままでその加害責任を論じたりすることになる。上記の象限の中で日本国憲法を考えようとしないから、「平和憲法」をめぐる発言が良い子の学級会レベルにしかならない。良い子のみんなはこれから学んでいくのだから、それでいい。でも私たちは大人なのだ。
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〔訂正〕
p.5【オウム真理教事件が与えた衝撃】の章で上から7行目に「1978年の時点で」とありますが、正しくは「1982年の時点で」です。筆者の誤記です。訂正します。