「万引き記録で自殺した中学生」と「保育園落ちた日本死ね」について――曽野綾子女史に物申す

 報道によれば、広島県の中学三年生が、やってもいない万引きの記録のために志望高校への推薦を拒否され、それが理由で自殺したとのこと。世間は、学校側の責任を問う声ばかりでずいぶん沸き立っているようですが、肝心のことが問われないままになっている、とずっと思っていました。
 肝心のこととは、なぜこの生徒は、自殺を考える前に、「無実の罪」を晴らそうとしなかったのかという点です。成績もよく、屈託のない明るい生徒だったと言われていますから、そんな不当な処置に対して一片の抗議もできないというのは、どう考えてもおかしい。教師とは廊下での立ち話だったとはいえ、数回に及んだと報じられています。その数回の中で一度も「自分はやっていない」と言わなかったというのでしょうか。
 ことは進路に関わる重大事です。もし教師の前で萎縮したのだったら、両親に訴えて家族ぐるみで立ち向かうことはいくらでもできたはずです。
 と、こう思っていたところ、産経新聞の、曽野綾子氏の連載コラム「小さな親切、大きなお世話」(二〇一六年三月十四日付)で、同じことが取り上げられていました。さすがは曽野氏、いつものように言いにくいことをずばりと突く、と感心しながら読んでいたのですが、途中から「こりゃいかん、こりゃダメだ」と頭を抱えました。この際きちんと批判しておきます。
 まず、曽野氏はこう書いています。

 今回学校からその件に関する質問をされたとき、生徒は「そんなことはありません」と正面から否定しなかったようだ。万引が事実であったかのように思われたのは、「万引のことは家の人に言わないで。家の雰囲気が悪くなる」などと答えたものだから、教師も事実だと思ってしまったのだろう。

 ここまでは氏の文章に問題はありません。ただ、私は今回、中学生が「万引きのことは家の人に言わないで。」と答えていたことを初めて知りました。もしこれが本当とすれば、さらに言いにくいことですが、本当はこの中学生は、実際に万引きをした少年と何らかの形でかかわっていたのではないか、あるいは、別の場所、別の日に万引きをやったことがあったのではないかという疑いがきざしてきます。この疑いは今のところ封印しておきますが、それにしても、次の曽野氏の文章を読んで、びっくりしました。

 私は昔から万引をするような人間は、大学どころか、高校にもいかなくていい、と思ってきた。万引は「失敗」ではない。「確信犯」である。計画して盗みをするような人間には、高等教育などを受ける資格はない。
 家庭にもそういう正義を重んじる空気があれば、子どもは万引などしないし、潔白なのに疑われた時には、顔色を変えて大騒ぎをするだろう。

 中学生や高校生の時期、万引程度の軽犯罪を犯す子はごまんといます。一流大学に合格するような秀才でもやっています。私も少々癖になってつかまったことがあります。保守派の領袖の一人、西部邁氏もご自身の著作の中で万引経験を告白されています。いまさら弁解のために言うのではありませんが、あの年ごろはアイデンティティ不安の塊なので、社会規範に反抗して小悪に手を染めるという、いくらか勇気を要する行為が結果的に自己の存在を確認させる心理的効果を持つのです。元服や徒弟奉公のような通過儀礼をなくした現代の間延びした思春期の少年たちにとって、それは一種の逆説的な通過儀礼の意味を持つといっても過言ではありません。だからやってよいと言っているわけではありませんが。
 曽野氏はカトリック教徒としての厳格さをここで表現しているのかもしれませんが、人間通で知られ、世界のたくさんの人々の生き様を目で見、肌で感じられてきたはずなのに、この偏狭ぶり、人間に対する無理解ぶりはどうでしょう。はっきり言ってあきれました。氏は、文学者でもあるのですから、『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンが後に民衆の信頼を勝ち得て市長になったことをどう解釈するか、ご高説を賜りたいものです。
昔だと、経済的貧困を理由に免罪されるという定番がありましたが、それは今では通用しません。ジャン・バルジャンの時代でさえ、最初のパンの盗みは貧しさからでしょうが、長年の囚人暮らしの後、教会で犯した燭台の盗みは、必ずしもその原因を貧困に帰せられるものではありません。

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西部邁

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コメント

    • 和田啓二
    • 2016年 4月 22日

    「万引は「失敗」ではない。「確信犯」である。計画して盗みをするような人間には、高等教育などを受ける資格はない。」 ?曽野綾子にブーメラン。 「ある神話の背景」の誤った記載は事実誤認ではない。意図的に嘘を連ねたものである。計画的に集団自決強制の正当性を刷りこませるような人間に生きる資格はない。 船舶特攻について大本営は各基地間又各基地内でも二重の分散配置を行った。赤松が1944年暮れ近くにもなって既に完成間際の留利加波基地を放棄し基地を集中したことは軍首脳の意向ではない。皆本は留利加波のニッパハウスが居心地が悪く蚊に悩まされたと語る。死ぬ時は一緒でというのが表向き、本音は死ぬ前に阿波連民家に下宿し生を楽しみたかったのだ。阿波連放棄により、勤務隊の本部壕建設が遅れ、朝鮮人軍夫を貸した。このことが赤松隊の泛水失敗の主因。このことを始め、曽野は赤松隊個別尋問の嘘、泛水時潮位干潮という嘘、知念先頭なのに富野先頭の嘘、大町大佐が鰹船の存在を尋ねたのに刳り船と改竄などおよそ考えられるほとんどの事実について嘘を連ねる。曽野は未だに嘘を訂正しない。 自民系を称えることは言論の自由で自民系の批判をすること、現政権を批判することは許しがたいとする。 どうしてもオウムや金王朝の手本となった中外血縁擬制序列イデオロギーに染まっていた戦前日本に回帰したいのだ。

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