いつのまに オノレが被害者 朝日新聞(笑)

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イヤらしい「説教エロ」

 十月七日の天声人語もこう書く。

過去の報道の誤りに対する批判に本紙は真摯に耳を傾ける。しかし、報道と関係のない大学を暴力で屈服させようとする行為は許されない。このさい思想信条や立場を超え、学問や表現の自由、大学の自治を守ろうという識者らの呼びかけは力強い

 よく読むと、いずれも「言論弾圧一般に対する批判」以上に、「大学への圧力」を際立たせて批判しているのである。

 常々指摘していることだが、朝日は近年、「今、大学生の就職率が低い」と大騒ぎしている。それは日本に程度の低い〝アホ大学〟が増えたからだ。アホ大学を出たところで、就職などできないのは当然だ。しかし、朝日はそれを絶対に書かない。

 なぜなら、ちょうど今頃の季節になると、新聞紙面には聞いたこともない名前の大学の四色刷りの全面広告が入る。つまり広告料は入るわ、植村・清田両氏の例を挙げるまでもなくOBは大学に天下りはできるわで、朝日新聞は絶対に「大学批判」ができないのだ。

 社説や天声人語の「大学への圧力」批判も、「朝日の記者を受け入れると同じ目に遭うぞ」と言われないように、この先の天下り先を確保しようとしているのではないか……そう勘繰られても仕方があるまい。

 十月二日の社説は、こう締めくくられている。

朝日新聞への批判から逃げるつもりはない。しかし、暴力は許さないという思いは共にしてほしい。この社会の、ひとりひとりの自由を守るために

 そしてそれを補強するように、七日の記事には植村元記者が「家族や職場への攻撃は卑怯だ」として、こんなコメントを寄せている。

一九八七年五月、朝日新聞阪神支局に男が押し入り、散弾銃で当時29歳の記者が殺された。私は彼の同期だ。問答無用で記者が殺されたあの事件と今回のケースは異なるが、身近に思えてならない。家族や職場まで攻撃するのは卑劣だ。私が書いた元慰安婦に関する記事に批判があるが、記事を捏造した事実は断じてない

 暴力は許さない。これには誰も反論できない。だが、これは私がかねて「説教エロ」と呼んでいる表現だ。

 つまり、週刊誌やワイドショーなどで「最近の女子高生はけしからん、援助交際などが横行し、乱れている」と批判しながら、援助交際の詳細な描写を描く。すると、それを見ている親父たちが「いまどきの女子高生はそんなに乱れているのか! けしからん!」と興奮しつつ読み進めるのを分かっていながら、「どうすれば風紀紊乱を防げるのだろうか」など社会派の記事であるが如く装う手法だ。

 立派なことを書いているようでその実、読者の、あるいは書き手の劣情をかきたてる。今回の記事でいえば、「言論弾圧はいけない!」「負けるな北星!」と興奮するであろう読者の反応を見越した記事である。まことイヤらしい。

 誤解してほしくないのだが、「朝日よ、清廉潔白であれ」などと言っているわけではない。メディアとは基本的にイヤらしいものである。何しろ商売だ。読者が中吊りを見て興奮してキヨスクに走る、そんなスクープをモノにするのが信条だ。そこには政治家のスキャンダルもあるが、大物芸能人カップルの離婚もある。「あの美人女優が脱いだ!」といった類の記事もある。買ってもらえなければ成り立たない。

 朝日新聞がそれを自覚して、「自分たちは説教エロをやっているのだ」と分かって書いているのなら問題はない。だがそうでないことは、社長謝罪後の紙面から滲み出ている。

読者を便衣兵に使う姑息

「朝日新聞の9・11」こと、木村社長の謝罪会見には心底驚いた。「あの朝日がついに謝ったか!」と。

 この謝罪会見を受け、わが畏友・百田尚樹氏は『週刊新潮』に「木村伊量はゴルバチョフではないか」と書いた。慧眼である。私も百田さんの説に、その段階では大いに賛同した。木村社長がここで責任を被り、すべての膿を出し切るのだと思ったからだ。

 ところが、木村伊量社長は社内をガバナンスしきれなかった。本誌連載「築地をどり」風に言えば、舞台上で木村宗家はたしかに頭を下げていたが、ふと見回すと他の大名取の皆様方が「本日も反省の色なし」で、舞台上で相変わらずの踊りを披露していたのである。

 つまり朝日新聞は社長が謝ったにもかかわらず、まるでパルチザンのような人々が社内から続々と現れ、勝手に紛争をやりだしたのだ。トップが謝罪したのに、部下たちはその直後から「反転攻勢」を仕掛け始めていた。

 その兆候は朝日の「声」欄、そしてその横にある朝日川柳にまず表れた。ここを戦場にして、朝日の社員・記者たちが軍服を脱ぎ捨て、非戦闘員のふりをして小銃を撃ちまくっている。朝日読者はまるで便衣兵だ。朝日と長く矛を交えてきたが、これには本当に驚いた。

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西部邁

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