「非モテからの脱出方法」を考える。

「大学デビュー」のウソと挫折

 断っておくが、「大学デビュー」、つまり大学生となってバラ色の青春を送ることの出来る条件は、大学入学後に決まるのではなく、既に高校生或いは中学生の段階で決まっている。

 私の入った大学は私学だったが、既に付属高校から進学してきた少なくない内部進学者たちは、生来の余裕からかそのコミュニケーション・スキルの高さを武器に、次々と彼女を作ったり合コンで難なく女子を引っ掛けたりしていた。

 そんな、「大学入学前の条件」によって「モテ」が規定されるなど、まだ知る由もなかった当時の私は、郡部から上京してきた右も左も分からない冴えない男が、表参道とか代官山とか下北沢とかに意味もなくこだわるのと同じように、サークルに入りさえすれば何かしらの異性との接触が有り、「非モテから脱却できる」などと簡単に考えていたのが運の尽きであった。

 繰り返すように、大学入学までに異性とのコミュニケーション・スキルの向上という分野に、全く傾注してこなかった私に、「非モテから脱却」などという大それた荒業ができようもない。

 土器や矢尻しか作ったことのない未開人が、突然タンカーを建造できるようにはならないのと同じだ。人類の文明や科学が順を追って発展したと同じように、大学に入ったから突然なにかが変わるわけがない。その当たり前のことに、当時の私は気が付かなかったのだ。

 案の定、たちまち孤立した私は、松岡洋右外相のようにすぐにサークル脱退を宣言し、または点々と入退部を繰り返した。最終的にはヤケクソのようになって「合コンサークル」みたいなところに入った。いつぞや問題になった早大の「スーパーフリー」まで過激ではないが、全員が毎日毎時毎分セックスとナンパのことしか考えていないようなぐうたらな連中ばかりだった。

 郷に入りては郷に従えで、そこの部員と一緒に徹底的に他大学の学園祭に繰り出してはナンパを繰り返した。実際、20,30校は行ったかもしれない。
 しかしナンパ師でもない私にその才能があるわけもなく、生来の気弱さとコミュニケーション・スキルの低さから、そこでの成功率はマリアナ沖海戦における日本軍機の魚雷命中率より劣悪なものであった。自分には「非モテからの脱出」なんて無理だろうと観念した。

猫でセックスを忘れる

 そこで私は、「もうど~でもよい」と腹をくくって学生の身分で自営業に精を出し、また猫を飼い始めたりした。20代の半ば手前くらいまで、私は明らかに「非モテ」だったが、と同時に主に仕事が忙しくなって「非モテ」という概念そのものを暫く忘却していた

 これは、maftyさんのいう「異性にモテたいという願望そのものを滅却すること」にかなり近いのかもしれない。意識して滅却したのではなく、気がついたらそうなっていた、という点では微妙にニュアンスが違うが、ともあれ「異性にモテたいという願望そのものが減っていった」というのは間違いない。

 すると人間というのは不思議なもので、あんなに「モテたい、モテたい」と思っていた頃には到底お近づきになれなかったようなタイプの女性と、お付き合い出来るようになったりする。

 20代半ば手前の私は、女性よりも、飼い始めたばかりの茶トラの猫(現在の愛猫♂)の事に夢中だったが、どうもそのような時に限って、10代後半の時に夢想していた願望が当然叶ったりする。
「非モテからの脱出」を願えば願うほど、「非モテからの脱出」は遠のく。そしてそんな価値観を忘れかかった時、ようやくその願望が成就する。なんとも不思議で皮肉な話である。

 しかし結句のところ、「非モテ」という私が抱いていたコンプレックスは、「モテること」によって解消することができたのも事実だ。仕事は私に人生の充実を与え、猫は私に愛と癒やしを与えたが、根源的に存在するコンプレックスをすべて滅却する所まではいたらなかった。

「非モテからの脱出」のために、本や雑誌が「髪型をこうしろ」とか「服装をこうしろ」とか、「デートの時はこうしろ」とか、そういった購買欲を掻き立てる内容をかき立てている。

 服飾業界や美容業界から広告出荷をもらったり、タイアップをしているのだから、そのように誘導するのは当たり前のことだ。実際はそんなことを考えている時点で、永久に「モテ」に近づくことはできないだろう。
 私立大学に内部進学して学生の時分からクラブ遊びをこなしているようなプチ・ブルは、そんな疑問も悩みも持たないまま、息をするように異性との交遊を繰り返している。

「欲望」を否定するな

 タイガー戦車村田銃で立ち向かうのが無理なのと同じように、弱者である「非モテ」は、第一にそもそもその戦場から遠ざかることを、「不戦」をまず考えなければならない。「異性にモテたいという願望そのものを滅却すること」という、冒頭で示したmaftyさんの解は、極めて正解に近いと評さなければならない。

 ただし「モテたい」という願望は、心の奥底の中に、燃えカスみたいに残り続ける。その「欲望」までを否定してはならない。「異性にモテたいという願望そのものを滅却すること」は、その「欲望」までもなくすことと決してイコールではない。あくまで「一時休止モードに入る」とでも思っておくのが丁度良かろう。

「非モテからの脱出」を真剣に悩み、かつ真剣に目指すのなら、まずその願望を忘却するほど、仕事に打ち込んでみるというのはいかがであろう。或いは、猫を飼ってみる、というのは一手である。目が大きくて、ふわふわしていて、いい匂いのする子猫がそばにいると、一瞬だが、異性とのデートとかセックスとかはどうでも良くなってくる。

 目の前のあまりにも美しく無辜な子猫の前では、戦争や政争や性交のことは、ちっぽけでとるに足らないことのように思える。選挙で自民党が勝ったとか、イラクのフセインが死んだとか、そんなことすら猫の前では小さなことのよう思えてくる。多分そうなったとき、無意識のうちに「非モテからの脱出」の第一歩がなされるはずである。

 ただし子猫といえども糞は臭く、その匂いを嗅いだ時に「いったい俺は何をしているんだ」という虚無が襲うことがしばしばだ。「非モテからの脱出」とは、猫の可愛さと糞の臭さの、その両方のリアルのはざまで自分と戦う作業に似ている。

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西部邁

古谷経衡

古谷経衡評論家/著述家

投稿者プロフィール

1982年札幌市生まれ。立命館大学文学部史学科卒。猫派。著書に『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)、『反日メディアの正体』(KKベストセラーズ)、『ネット右翼の逆襲』『クールジャパンの嘘』(共に総和社)など多数。
Twitter @aniotahosyu|Facebook tsunehira.furuya
古谷経衡公式サイト http://www.furuyatsunehira.com/

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コメント

    • 小菅 拘一
    • 2014年 11月 04日

    久しぶりの寄稿(そして相変わらずのビーンボールですが)、樂しく拝読させて頂きました。私も同年代で、かつ郡部から出てきて裏原、代官山、中目等というオシャレっぽいラベルを掻き集めて「大学デビュー」することを目論みました。が、ええじゃないかのようないっときの騒擾が去った後は、陰気な「就活」なる第二幕が始まりまして、現実に否応なく引き戻された訳です。

    三十路を歩み始めた今、あの騒擾を経て残ったのは、酒への変わらない憧憬と、それを媒介とする大学時代の上戸の友人数人です。

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