頭が良いとはどういうことか、考えるとはどういうことなのか
- 2014/3/3
- 文化
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世の中には、頭の良い人がたくさんいて、大変な読書家で物凄い量の知識を持っていたり、勉強家で色々な資格を取得していたり、あるいは物事の要点をさっと理解して整理してしまえる人などもいます。このような人の中には当意即妙なやり取りなどが上手い人も多く、私などはこういった人をみるとつい羨ましく思ってしまいます。いわゆる頭の回転が早いなどと言われるような人々のことです。
思考を「発酵」させる。または「煮込む」力
一方で、世の中にはまた別の種類の頭の良さもあって、京都大学教授の佐伯啓思さんは『学問の力』という本の中で、その別の種類の頭の良さについてこのように説明しています。
もうひとつは、そういう意味ではものすごく鈍くて、勘も悪く、いわゆる鈍重という感じなのですが、「頭がよい」といえる人がいる。たとえばアインシュタインは一般的な意味では能力が低く、瞬発的な切れ味とか勘のよさとかいう意味では鈍才だったといわれますが、潜在的なところでいつも何かを考えている力があった。自分が意識しないうちに臓器が勝手になにかを考えている。そういう人は、読んでいる本の量は少なくても、いろいろな問題に対して、素朴だけども的確な反応をします。(中略)
つまり、「頭がよい」には二種類あって、ひとつは脳の神経伝達速度が速いという、脳の物理的運動能力の優秀さです。しかし、もうひとつ、そうした能力に関しては鈍いけれど、何か潜在意識のなかで物事を考えている持続力みたいなものがあって、時間をかけて独創的なことを生み出す力がある。これももうひとつの「頭のよさ」です。(P129)
つまり、外部からの情報や刺激に対して一瞬でパッと的確に反応していくような脳の反射神経における意味での頭の良さがある一方で、もっと時間をかけて、脳の中でじっくり考えを熟成していくような意味における頭の良さというものもあるわけです。
評論家の西部邁さんは、後者の考え方を漬物にたとえて説明します、つまり、様々な矛盾や葛藤も含んだ断片的知識を脳に放り込むことにより、それらに知識に加え、様々な観念・概念・感情・気分といったものが組み合わさることにより、様々な化学反応を起こすことによって美味しい漬物のような新しい自分なりの考えが生み出されるということです。
あるいは、スープのようなものだと思っても良いでしょう。様々な具材(情報や知識)を鍋(脳)に放り込んで、時間をかけてグツグツ煮込む(意識的あるいは潜在的な思考プロセス)という過程を経ることによって、美味しいスープ(自分なりの良いアイディア)が生まれてくるということです。
アインシュタインの例を出すと、どうにも高尚で特別なことのように思えて腰が引けてしまいますが、実際には多くの人において、大小様々にこのような経験はあるのではないでしょうか。
日々の業務で難しい問題に直面するビジネスマン、難しい数学の問題を解こうとする受験生、あるいは新しい技術を取得しようとするスポーツ選手や愛好家であって同様です。難しい、問題に直面し徹底的に考え抜く、受験生であれば、様々な解法を試してみたり、ビジネスマンなら問題解決のヒントになりそうな本を読んだり、仲間に相談してみたり、あるいはスポーツ選手であれば新しい技術の獲得のために必死に練習し試行錯誤する。そのような意識的なプロセスを経ても、どうしても上手くいかない時に、「どうやら、今日中にこの問題を解決するのは難しそうだな」と思って、一旦中断し、シャワーを浴びて眠りにつく、すると翌日突然思い掛けない解決策が思いつく、スポーツ選手であれば突然イメージしていた身体の使い方が可能になるといったような経験は、おそらく多くの人が人生の中で何度か体験したことがあるのではないかと思います。
自己啓発の分野では、このようなプロセスを潜在意識の働きに求めます。つまり、日中必死に解決しようと取り組んだ問題の解決を一旦諦めたとき、意識の領域では問題の解決を一旦諦める、あるいは中断しているのですが、無意識の領域では、絶えずその問題を解決しようと相変わらず試行錯誤しているのです。そして、潜在意識の領域で問題の解決方法を発見して、さらにその解決方法が意識の領域にまで浮上してきた時に、突然ハッと閃いたように感じるのです。
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