バレンタインデーという風習に思う文化の国境線
- 2014/2/13
- 文化
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文化の国境線
全国では十年来の大雪警報も発令され、厳寒となった2月。クリスマスの記憶も薄れた頃に、雪と共に帰ってきたのは、もうひとつのカップルイベント……そう、「バレンタイン」の季節である。独り身にとっては、寒さに反比例しアツさを増す恋人達に、嫉妬の炎を燃やすしか対抗できないのが残念であるが、ここでは、チョコレートの甘さに負けないよう、ビターな切り口でこの行事を噛み砕いていきたい。
「恋は盲目」と言われるように、相手のことで頭がいっぱいなときは多少おかしなことも異変と感じず、自然なこととしてスルーされるらしい。例えば、コスプレしたカーネルサンダースをサンタクロースと見間違えて、「何故か」七面鳥ではなくフライドチキンを買ってしまったり、プレゼントは自由なはずなのに、「何故か」洗脳されているかの如くチョコレートにばかり群がったり、挙げ句は恋人に飽き足らず「何故か」友人や同僚にまでチョコを送りつけ、とっくに食べ終わっている頃に「じゃあ別の形で返して」という無茶振り。さらには利子を付けて返せというのだから、横暴極まりない。クリスマスに至っては家族ではなく、恋人との集まりを優先している時点で、敬虔な信者からは軽蔑される行為だ。
いずれの「何故か」してしまっている行為も、発祥したキリスト圏の各国から見れば摩訶不思議だが、当の日本国民が異を唱えないのは、「変だとそもそも自覚していない」か「楽しければそれでいい」、もしくは、「その方が儲かるから」だろう。そして、そういった人間が多数派を占めているのが現代の日本と言える……前置きが長くなってしまったが、ここで「日本」を中心とした話に立ち返ろう。
それは、今回の表題「文化の国境線」についてである。本格的な話を始める前に、読者の皆様には、まず次の問題を一つお答え願いたい。
「ホワイトデーは日本文化か?」である。
ホワイトデーは日本文化か?
「ホワイトデーは日本文化か?」という質問にすっきりと答えがでないのは、おそらく、 「ナポリタンやハヤシライスは日本料理か?」といった質問と似た感覚を覚えるからだろう。答えはYesとも言えるし、Noとも言える……その境界線は個人の価値観によるところが多い。
例を挙げて言えば、「カリフォルニアロール」は「sushi」なら「Yes」だが、「寿司」に含まれるか?と聞かれたら「No」といった具合だ。ただし、これはあくまで筆者の私見のひとつであって、別に日本国民の共通認識でも何でもない。クリスマスやバレンタインが外国由来だと知らない大人はいないであろうが、ホワイトデーが「全国飴菓子工業協同組合」によって決められた作為的なイベントであり、「ポッキー・プリッツの日」と大して変わらないレベルの記念であることはあまり知られていない。
また、行事自体は海外発祥だと知っていても「きよしこの夜」に代表される、各イベントにちなんだ音楽の多くが、国内用にローカライズされた洋楽であることを知らない人も多い。(ちなみに筆者も、「蛍の光」がスコットランド民謡を作り替えた物だと先日知り、驚愕したばかりである)
上記の様な例を挙げても、意識の高い読者の中には「そんなのは知ってて当たり前だ」と言う人も少なくないだろう。しかし、「日本文化として異論の無いとされる」お中元が、日本の神道由来ではなく、中国の道教、「三元」からの伝来であることを知っている人は、どれほど居ただろうか? 筆者の知る範囲では、宗教にかなり詳しい人でなければ知らないのがほとんどだ。これは祖父母・両親をはじめとした、筆者より上の世代を中心を聞いてみたので、「最近の若者」や「ゆとり世代」に 限ったことでないと思われる。多くの人は発祥自体に興味を持たなければ、「親から聞いた通り」もともと日本の文化であると疑わない場合が多いのだ。……そして、そこに問題もある。
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