バレンタインデーという風習に思う文化の国境線
- 2014/2/13
- 文化
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無国籍な何か
筆者が幼少だった頃、「クリスマス」は既に「あって疑わないもの」として生活の中にあった。確かにサンタクロースの姿は「日本人にしては変だな」とは、なんとなく感じたものの、ナマハゲやシシマイは家に来たら怖いけど、サンタクロースは来てくれたら嬉しい「無国籍のおじさん」といった感じだ。
「イヴの真実」について知るのはもう少し後であるが、「それ」は今回の件とは別の大人の事情であって、「クリスマス自体」は周りの家庭でも、特に宗教色を感じさせない子供のイベントに過ぎなかった。
キリスト教などいざ知らず、子供達が「第2の誕生日」として聖誕祭を私物化していく一方、大人達は不景気で落ち込んだ消費を取り戻す絶好のチャンスとして、資本主義による形骸化を進めた。縁日だから露店を開くのではなく、露天を開くために縁日にする本末転倒な行為であるが、裏では膨大な金が動く。
この旨みを知ったあとでイベントが無くなり本当に困るのは、恋人や子供達ではなく、企業の方だ。もはや今の時代、クリスマスは日本の12月に欠かせない存在になっていると言えるだろう。
近年ではクリスマスの前例にならい、ハロウィンを日本に定着させようとする動きが活発化している。
TPPなどグローバル化が加速する世界で、こういった流れはますます加速していくだろう。
バレンタインデーが「チョコレート業界の陰謀」と揶揄されるように、マーケティングが目的になっている行事は非常に多い。最初の「ホワイトデー」に限らず、少し前にあった「恵方巻き」、土用の丑の「うなぎ」などは、諸説は色々あるものの、験担(げんかつ)ぎ を文句に、いずれも商業的な理由から発生したものだ。これらは売ることが第一で、内容自体は二の次でも喧伝される。よくよく考えてみると、受験シーズンの語呂あわせと変わらないレベルの商品も少なくない。まさに「景気付け」の産物だ。
昔とは異なり、テレビや新聞・雑誌などから情報を一方的に受け取るしかなかった時代は終わった。これからは読者側も情報を吟味・検証をし、「スポンサーにではなく」読み手にとって真に価値ある情報へ、編集・再発信していく時代だ。このまま私達の意識に「文化的な鎖国・検閲」といったものがなければ、筆者が子供の頃サンタに感じた「無国籍な何か」は、世代を追う毎にどんどん量産されていくだろう。
何故ならば、私達が見せる世間が次の子供達の「日本像」となるからだ。大人達が目先の利益に眩み、安易なマーケティングに没頭すれば、子供達は疑うことなく「あいまいな日本」を吸収するだろう。
冒頭に登場したカリフォルニアロールも、外国の店員が「これが本場の寿司だ」と自慢げに紹介する場面が、テレビではよく取り上げられる。それを見て憤慨する人は稀であるが、多くの人間は苦笑いせざるをえないのが実状だ。面と向かって指摘しないだけで、吹聴される側にとっては不快か滑稽でしかない。テレビの前では他人事だと笑っているが、私達がクリスマスやバレンタインでやってきたことと、いったいどれほど違いがあるというのか。インターネットが普及するのが今の時代だっただけで、もっと早ければ笑われていたのは私達の方ではなかったのか?
現代社会に蔓延した商業主義の空気を一度吐きだして、今の方針のままでいいのか改めて考えてみる必要がある。別にローカライズすること自体は罪でないが、無知は罪である。カレンダーが年中行事でいっぱいになれば、確かに豊かな国に見えるかもしれない。しかし、カレンダーに何も内容が書いて無くとも、国民自らが「なぜ大事な日」なのかお互い理解していること。その方が真に国が富んでいる、と私は思う。
私達自身が日本文化の一端だ
歴史の問題となると、教科書に関係する過去の事象についてばかり取り上げられるのが常だが、ありふれた日常生活も、欠かすことの出来ない日本の歴史の一部である。ましてや、今を生きている私達は永きに渡って受け継がれて来た日本文化の担い手そのものなのだ。グローバル化、ボーダーレスといった声が叫ばれ、世界中の境界が曖昧になっていくなかで「文化の国境線」は何処にあるのか?それはおそらく、私たち一人一人の心の中だ。
「それでは答えになっていない」とあなたは言うかもしれないが、歴史を分類するのは、いつの時代も後世がすることだ。最初の質問であなたが答えた「Yes」or「No」は、これまで先人達が見せた「日本の姿」から形成された価値観であり、今の「文化の国境線」を描く点だ。
現状の「日本像」をすぐに変えることは無理だが、私達が描いた軌跡が未来の「日本像」を形作る。我々が「Yes」と答えればそちらへ、「No」と答えればその方向に向かって未来は動いていくだろう。
私達の責務は、国民として「伝えていくべき日本の姿」を後世の者に明確に示すことだ。クリスマスや、バレンタインデーも、多くの国民がそれを望むならば、現代の風習として伝えるのも悪くない。しかし、だからといって厚顔無恥には開き直らず、日本人なら先人に謙虚さを忘れない姿勢を守り通していきたい。
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