蓮舫ブーメラン伝説。民進党代表選挙に生まれた神話

継承されたお家芸

 民進党の前身、民主党といえば、自民党を攻撃するために披瀝した電子メールが、その直後に「偽メール」と発覚したり、年金未納問題を追及した本人も年金未納だったりと、攻撃した言葉がすべて自分に帰ってくる「ブーメラン」をお家芸としました。民進党に看板を掛け替えても、お家芸は継承されていることを、新党首 蓮舫氏が身を持って示してくれました。

 当初、台湾人を父に持つ蓮舫氏の、二重国籍疑惑を追及した大手メディアは産経新聞(と僚紙 夕刊フジ)だけでした。公示日直前の産経新聞が台湾籍を保有していないかと訊ねると「質問の意味が分からない」と回答拒否。この対応にネット民は「こんな簡単な日本語も分からないとか本当に日本人か? 」と絡みつきます。この時、誠実に対応していれば、その後の釈明にあるようないわば「うっかりミス」と誰もが納得したことでしょう。つまり、彼女の初手が騒動の原因、自業自得という名のブーメランです。

 民進党代表選において、蓮舫氏は無数のブーメランを操って見せました。それは「ブーメラン芸」といっても過言ではありません。今回は、蓮舫氏の「至芸」を紹介します。

 ちなみに、先の「分からない」という回答について、ニュースサイト「ハフィントンポスト(日本版)」の取材に、産経新聞の記者の質問の仕方が悪く、その為、意味が分からなかったと釈明しますが、蓮舫氏が党首に選出された翌日、産経新聞は、丁寧で分かりやすい質問を含めた取材でのやり取りを、署名入りで記事にします。それを読む限り、確かに日本人としての読解力に疑問符がつきます。やることなすことブーメランです。

一片たりとも無駄にしない至芸

 公示日当日の9月3日の読売テレビの「ウェークアップぷらす」で、辛坊治郎キャスターに本件を確認されると「私は生まれたときから日本人です」と明言し、「高校3年の18歳で日本人を選びました」との説明は、音速のブーメランとなって襲いかかります。放送から数時間後には、台湾籍を離脱する申請は二十歳にならないとできないと特定されたのです。

 当時の日本の法律では、父親が台湾籍である蓮舫氏は、生まれたときは間違いなく台湾籍。「生まれたときから」発言は、明らかな虚偽ですが、後に本人が釈明したように「心情的」な話しとしてなら理解できますが、これすらもブーメランとして突き刺さります。

 ネットで特定された時期は前後しますが、時系列に並べると1993年にテレビ朝日「ニュースEYE」のキャスターに就任したとき、系列の朝日新聞に「在日の中国国籍の者としてアジアからの視点にこだわりたい」と語っています。18才で日本人を選んだはずが、キャスター就任時の25才には中国国籍に戻っています。さらに1997年の女性誌「クレア」で「自分の国籍は台湾だ」と発言していました。

 クレアの記事については「だった」という過去形が、編集段階で抜け落ちたと釈明しますが、出版前には必ず「ゲラ刷り」という確認作業が、本人か所属事務所により行われます。仮にこれを怠っていたと言うのであれば、確認作業を怠る脇の甘さは二十年来変わらぬ筋金入りという告白で、政治家として資質を問われます。釈明すらブーメランにする至芸です。

 なお、当時の出版印刷業界は、アナログ編集とDTPの端境期。内容の最終確認のための「ゲラ刷り」は、一般的にはFAXかバイク便で行われており、今ならよくある「迷惑メールに紛れていた」という言い訳は通用しません。

放ったイヤミすらも

 さらに、2000年の週刊ポストに「(日本に帰化したが)アイデンティティは台湾人だ」と明言。これで「心情的」という解釈も成立しなくなりました。テレビ番組でのわずかな発言ながら、ものの見事にその全てが己に突き刺さるブーメランとなったのです。神業レベルの命中率です。

 己の放ったブーメランが、次々と己に突き刺さったことに逆ギレしたのか、蓮舫氏はメディアの取材に「『一つの中国』論で言ったときに、二重国籍と(いう言葉を)メディアの方が使われることにびっくりしている」と反論を試みます。

 『一つの中国』とは、北京を首都とする大陸側の「中華人民共和国」の主張で、「台湾(中華民国)」は「中国」の一部とするものです。その中国では、他国の国籍を取得したとき、中国の国籍から離脱すると定められています。つまり、日本国籍を取得すれば自動的に中国の国籍を喪失するのだから、二重国籍と報じること自体がおかしいと、蓮舫氏はイヤミを放ったつもりなのでしょう。蓮舫擁護派の朝日新聞や毎日新聞も『一つの中国』論にのっかり擁護します。もちろん、これもブーメランになります。

 1972年の日中国交回復を前に、日本は台湾との断交を決断します。中国は台湾の「自国領」と主張し、対する台湾は「独立国」だとしており、論理的矛盾を避けるための苦渋の決断です。「日中共同声明」で中国は『一つの中国』を表明し、日本は中国の立場を理解し、尊重するとしただけで、中国の主張に同意したとは言っていません。いわゆる玉虫色の結論で、それは「大人の知恵」といっても良いでしょう。いまでも日本と台湾の間に国交は結ばれていませんが、日本政府は事実上、台湾を国家と同等に接し、多くの一般市民は台湾を国として理解しています。

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西部邁

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  1. 2016-2-24

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