男性的な倫理観は、国家などの抽象的な論理的概念へ、女性的な倫理観は、家族などの具体的な感情的概念へ導かれる傾向があるように思われます。そうであるなら、二つの性差によるドラマが、人間社会では日々繰り広げられることになります。
ここでは、カレル・チャペックの『母』という作品を参考にし、「家族と国家」および「女と男」の問題について考えていきます。
天才カレル・チャペック
カレル・チャペック(1890~1938)は、チェコを代表する小説化・劇作家です。科学技術と人間の欲望が結びつくことによる人類の危機を風刺する作品が多く見られます。現在日本で比較的入手しやすい作品としては、岩波文庫から『ロボット』と『山椒魚戦争』が出ています。
チャペックが1920年に発表した『ロボット』(正式には『R・U・R――ロッスムのユニバーサルロボット』)では、生体部品を使用したバイオロイド(つまり有機的人造人間)がロボットと呼ばれています。一体のロボットは、二人半分の仕事をするという設定になっています。機械的な部品で構成されたイメージではありませんが、いわゆる「ロボットもの」の原点となる名作です。
チャペックが天才なのは、「ロボットもの」というジャンルを切り開いただけではなく、その主要テーマのほとんどをすでに描写しているからです。つまり、ロボットものの最初期において、最高峰の作品を完成させていたのです。
少しだけポイントを述べておくと、「ロボットの人権」・「貧困と労働の問題」・「ロボット同士の差別」・「ロボットの反乱」・「人類の滅亡」・「ロボット国家の誕生」・「唯一生き残った最後の人間」・「新たなアダムとイブの誕生」などが挙げられます。こういったキーワードを聞くだけで、ワクワクしてきますよね。
キリスト教的な思想を背景にした描写もあるため、日本人にはやや読みにくいところもありますが、歴史的名作としてお勧めできます。
チャペックの死と運命
チャペックの晩年には、アドルフ・ヒトラーとナチズムの脅威が迫っていました。チャペックは1936年に『山椒魚戦争』を、1937年に『白い病気』を、1938年に『母』を発表しています。『白い病気』と『母』については、八月舎の『チャペック戯曲全集』に掲載されています。これらの作品には、反ファシズムの意図が読み取れます。
実際に、ゲシュタポ(ナチス・ドイツの秘密警察)はチャペックを危険視していましたし、手紙や電話での脅迫もありました。亡命のすすめもありましたが、チャペックは国内に留まることを選択します。
1939年3月15日に、ナチス・ドイツ軍はチェコを占領します。その際、ゲシュタポはチャペック邸に乗り込んでいます。チャペックが肺炎により亡くなったのは、前年の1938年12月25日の未明でした。48歳という若さでした。妻オルガは、夫チャペックがすでに亡くなったことを、皮肉を込めて告げたといわれています。
チャペックの死期について知ると、そこに運命のような何かを感じてしまいます。仮にチャペックがもう少し長く生きていたら、逮捕され投獄されていたでしょう。現に、兄のヨゼフは逮捕され、1945年4月に栄養失調で死亡しています。国土解放のわずか一ヶ月前でした。
また、チャペックが1937年に『白い病気』を発表し、1938年の『母』を発表することなく死んでいたなら、彼の評価は少し異なっていたかもしれません。私の想像の域を出ませんが、チャペックが『母』の発表前に死んでいたら、日本の戦後左翼は『白い病気』を大々的に持ち上げていた可能性があります。その場合、日本における知名度はもう少し高くなっていたのでしょうが・・・。
『白い病気』の平和主義
ある架空の国で、「白い病気」という奇病が発生します。皮膚に白い斑点が出来て、肉体が腐っていくという恐ろしい病気です。
そんなとき、あまり裕福ではない町医者ガレーンが、白い病気の特効薬を発明します。平和主義者である彼は、薬を利用して戦争を阻止し、平和を勝ち取ろうとします。最高指導者の元帥が病気になったとき、ガレーンはその治療法を武器にして、戦争準備を止めさせることを約束させます。
ガレーンが病気の治療のために元帥邸へ向かう途中、戦争を肯定するデモに遭遇します。彼は「戦争は駄目です! いかなる戦争にも反対します!」と叫んだため、集団リンチされて死んでしまいます。そのため、白い病気の特効薬も失われることになるのです。物語はそこで終わりますが、この国のその後を想像すると悲観的にならざるをえません。
戦力差が大きい場合に、宣伝効果と組み合わせることで、平和主義が有効に働く可能性はありえるでしょう。しかし、平和主義では外敵の侵略には無力であるという批判に答えたためか、チャペックは翌年に戯曲『母』を発表しています。
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