家族と国家のおはなし

『母』の構成

 この戯曲は、戦争などの理由で夫や息子たちを失った母親の物語です。生き残っているのは五人の息子のうち、末っ子のトニだけです。死んだ夫や息子たちが、幽霊となってあらわれ、母親と会話していきながらストーリーは進みます。母親は戦争を憎み、英雄主義を嫌います。母親と(幽霊となった)夫や息子たちとの会話から、男女の考え方の違いが浮かび上がっています。
 ちなみにチャペックも末っ子であり、精神的に不安定だった母親から、異常なまでの愛情を受けて育ちました。そのような境遇を知ってしまうと、トニと母親の関係は、チャペックと母親の関係が反映されているのかもしれないと想像してしまいます。登場人物のセリフのリアリティが、真に迫っているからなおさらです。
 これは、反ファシズムの意図をもった作品を立て続けに発表し、脅迫されながらも亡命の誘いをことわり、国内にとどまった天才劇作家の最後の戯曲なのです。それが傑作でないわけがありません。

夫と妻の会話

 作中の登場人物として、「父」と「母」という役割を与えられた二人の人物がいます。その二人の会話は、夫と妻の会話になります。妻が戦死した夫リヒャルトに向けて語る言葉は、人の心を揺さぶります。

 いえ、いえ、リヒャルト。あたしの言うことをそのまま信じないでよ! たぶん・・・・・・いいえ、きっと、あたしはあなたを許したわ。たとえあなたが、あの時、立派に、軍人として振舞わなかったとしても、あなたはあたしのところへ、それから子供のところへ帰っていらしたでしょう・・・・・・そして、軍隊なんかお辞めになったでしょう。あたしだって、・・・・・・それが当りまえのことになっていたのよ。そして、またあなたを愛したわ。たぶん、少しは違ったふうにかも知れないけど。そりゃ、あなたはひどく苦しんだと思うわ・・・・・・軍人の面目をなくしたんですものね。でも、あたし達は・・・・・・二人して生きのびたわ。あたしのそばには、少くともあなたがいたわ。リヒャルト。そしてあたしはあなたの世話をしてあげられた――

 妻は夫が立派な軍人であることを誇りに思っているのです。しかし、立派な軍人であるがゆえに、夫は戦死してしまったのです。ここに妻の葛藤があります。その葛藤が、「そして、またあなたを愛したわ。たぶん、少しは違ったふうにかも知れないけど」というセリフに絶妙に表現されています。女性の繊細な感情の機微が、ここにはあるのです。

息子について、父と母の会話

 作中に登場する息子たちは、それぞれに個性豊かな生き方を選び、結果として死んでしまいます。例えば長男オンドラは医者になり、黄熱病に苦しむ人々を救う過程で死んでしまいます。
 生きている母親は、幽霊となった息子オンドラを問い詰めます。オンドラは「医者の義務」だと言います。母親は「でも、おまえの義務なのかい?」と問います。それに対しオンドラは、「科学の義務」だと答えるのです。
 この母と息子の会話に、父と母の論理が加わります。母親は、「よりによって、おまえでなくてもよかったはずでしょう」と問えば、(幽霊の)父親は、「しかし、なぜ、よりによって、こいつじゃだめなんじゃ?」とたずねるのです。
 父親は、オンドラは頭が良いということと、一番できるものが行かなければならないという理屈を持ち出します。母親が、一番できる人が死ねばよいのかと問えば、父親はそうだと答えるのです。一番優秀な者が、先頭に立つべきだと言うのです。そして、オンドラを「よくやった」と褒めるのです。
 ここには、悲しいまでのすれ違いがあります。母親だって、一番できる者が行かなければならないということは分かっているのでしょう。しかし、問題は、それがよりによって自分の息子だったということなのです。一方、父親にとっては、それがたまたま自分の息子だったのであり、そこに息子の(そして父親としての)義務が生まれたということなのです。

尊さと正しさと

 夫や息子へ向けた母の言葉は、本当に家族のことを想っているがゆえに心に響きます。彼女が、「五人の子供のためにテーブルに食事を運ぶときって、あたしには、とても尊い仕事に思えたのよ」と語るとき、誰がそれを否定できるのでしょうか。
 それは、誰にも否定できない、否定してはならないことのはずです。もちろん、その行為そのものが普遍的に尊いことだと言っているのではありません。子供を大切に想う母親の行為であるがゆえに、それは尊い仕事になりえるのです。
 ですから、ここには普遍化して語ることができない、個別的で特殊的な事情があるのです。母親にとっては普遍的な家族の問題なのではなく、自分の家族の問題なのだということです。そして、それはこの母親もおそらく分かってはいるのです。

 あんたがたは気楽におっしゃいますけどね、自分が死ぬってことは、誰にもできることよ。だけど、夫や息子をなくすってことが、どんなことか――あんたたちにわかってたまるもんですか――
オンドラ その点じゃ・・・・・・確かに母さんの言うのが正しいよ。
 あたしゃ正しくなくたってかまわないよ・・・・・・正しいなんて欲しかあないよ。あたしはあんたたちがいて欲しいんだよ。あたしはあたしの子供たちにいて欲しいんだよ! おまえは死んじゃいけなかったんだよ、オンドラ。

 この会話は、人間の感情の機微を、絶妙なまでに表現しています。ここでのキーワードは、やはり「正しい」という言葉でしょう。
 長男のオンドラが、母さんが正しいと言ったことに対し、母親はオンドラの言うように私が正しいと主張するのではなく、自分は正しくなくてもよいと言っているのです。母親は、オンドラの言う意味での正しさを求めているのではなく、オンドラの考えでは正しくないと見なされることをこそ求めているからです。
 「妻と夫」および「母と子」の一般論として、オンドラは母親の言うことが正しいと認めています。しかし、この母親が求めているのは、抽象的な夫と息子についてのことなのではなく、具体的なリヒャルトとオンドラについてのことなのです。ですから、それは一般的に正しさを主張できるようなことではないと、この母親にも分かっているのです。
 ここには具体的な自分の家族を想う母親と、家族を超えた抽象的な何かに惹かれる男たちのすれ違いがあります。男たちも、母親の言うことを理解しようとしているのですが、それは抽象的で一般的な家族の問題に置き換えられてしまうのです。

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西部邁

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