炭水化物と景気循環~生態系としてのマクロ経済(前編)

最近、昨年出版された夏井睦(なついまこと、練馬光が丘病院「傷の治療センター」長)氏の著作「炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学」を読む機会がありました。本稿では同書を手がかりにして、マクロ経済における「景気循環」や「政府と民間の役割」といった問題について、2回に分けて考えてみたいと思います。
何やら唐突なようですが、実は同書では、私が「日本経済の成長&景気循環メカニズム」や「経済政策のあるべき姿」などで述べたマクロ経済論にも通じるような議論が展開されています。これは、「マクロ経済=生物であるヒトの生態系の一環」と考えれば故なき話ではなく、そうした生態学的な議論と重ね合わせてみることで、現実の経済が主流派経済学のモデルとは異質であることを少しでも明らかにすることが、本稿の意図するところです。
今回の前編では、主流派経済学の想定とは異なり、景気変動が外的ショックによるだけではなく、いわば生態系のリズムによって内生的・循環的に生じるものであることを、改めて論じてみたいと思います。
なお、本稿は同書で提唱されている糖質制限食を推奨、あるいはその当否について何らかの評価を試みるものではないことを、一応お断りしておきます(笑)。

穀物の甘さがもたらした人類文明?

夏井氏は、自らの食事における糖質制限の経験を出発点として、医学、生物学、果ては文明論にも及ぶ、以下のような議論を展開します。

  • 糖質(=炭水化物と砂糖類)とは、「血糖値を挙げる栄養素(食品)」である。高血糖は糖尿病だけでなく、様々な健康被害の原因となる。自分自身、糖質を制限することでダイエットに成功すると共に、高血圧や高脂血症も自然に治るなど、数々の効果を経験した。総カロリーの6割を糖質から摂ることを前提とした、糖尿病の一般的な食事制限では症状が改善するわけもなく、一生インシュリン注射を続けるしかない(これは糖尿病専門医と製薬会社による、マッチポンプのようなものである)。
  • 人類の消化管の構造は肉食動物に類似しているし、そもそも炭水化物が人間にとって必須栄養素ではないことは、生学的にも証明できる。すなわち、人間の生存に欠かせない必須脂肪酸と必須アミノ酸に関しては、食事で外部から取り入れるしか方法が無いが、炭水化物に関しては、アミノ酸を材料にブドウ糖を合成する「糖新生」というシステムが人間に備わっていて、タンパク質さえあれば自分で作り出せるのである(=「必須炭水化物」は存在しない)。「食べなくても生きていける」「薬ではない」「食べると精神的な満足感、幸福感が得られる」「食べられないとわかるとさみしい感じがする」という条件を満たし、なおかつ摂取しすぎると毒になる糖質は、コーヒー・タバコ・酒・麻薬と同じでむしろ嗜好品そのものである。
  • 人類と糖質の付き合いは、穀物栽培から始まる。基本的には定住しない動物(排泄物を垂れ流すためオムツが必要な赤ん坊が、その証拠である)であった人類が、恐らくはドングリなどの木の実の採集をきっかけに定住生活を覚え、その後のある時点で穀物の甘さのとりこになり、収穫までより一層手間暇がかかる穀物栽培を行うようになったと考えられる。穀物栽培の開始と共に人口増加が始まるのだが、これは、長期保存可能で狭い耕地で大量収穫できるという穀物の特性が可能にしたものだった。
  • もともと定住を前提としない狩猟採集生活時には、争い時には「そこから逃げる」という解決法があったが、「定住かつ共同の生活」を前提とした穀物栽培では、「共同体のルール」や「他人と付き合うための技術」が求められるようになり、言語や法律、幾何学などが発明されると共に、民族や国家という概念が生み出された。
  • こうして穀物は人類文明の源泉となり、その発展を支えてきたし、信仰の対象にもなった。しかしながら、実は単なる食物の1つに過ぎず(しかも食料として優れている訳でもない)、現代社会に肥満や糖尿病、その他さまざま疾患をもたらした偽りの神、悪魔だった。さらに穀物生産(及び穀物飼料に依存した畜産)自体、「窒素肥料による『緑の革命』の弊害」「塩害」「地下水の枯渇」に起因する持続不可能性を抱えている。穀物の文明発展への貢献を認めつつも、非穀物生産(非糖質食)への道を探るのが、現代の私たちの仕事である(例えば、農業を窒素肥料が少なくて済む大豆などのマメ科の食物中心に転換し、無菌培養した蠅に卵を産んでもらい、それを育てた蛆をプロテイン粉末に加工することが考えられる)。

食糧生産のあり方に関する最後の結論部分の当否は何とも言えませんし、ご本人も断っているように仮説が多分に含まれた議論ではありますが、「本来は肉食・非定住型生物である人類が、穀物を媒介として、自らにとっては不自然なはずの文明社会を発展させてきた」というストーリーは、現実に存在するであろう個人と社会との間の葛藤にも通じるものがあり、それなりの説得力を持つのではないかと思います(だからといって、「狩猟採集型の生活に戻りたい、あるいは戻るべき」と言うつもりは毛頭ありませんが)。

→ 次ページ:「生物界にも存在する循環メカニズム」を読む

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西部邁

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  1. 2014年 8月 14日

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