乗数効果を否定する小野善康氏 ー 失われた20年の正体(その15)

「成熟経済化による長期不況」も非現実的な議論?

蛇足かもしれませんが、長期不況の構造要因を「成熟経済化による貨幣愛の増大(=可処分所得をいくら増やしてもお金が究極の欲望の対象になり、人々がモノを買おうとしない)」に求める小野氏の議論も、実証的には極めて怪しいと言わざるを得ません。
図2は、各年GDP統計の家計可処分所得(横軸)と家計最終消費支出(縦軸)をプロットしたもので、バブル崩壊以前からたどれる2000年基準(1980~2009年)と、最新の基準である2005年基準(1994~2012年)の2つを示しています。

【図2:家計可処分所得(横軸)と家計最終消費支出(縦軸)の推移】

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上図からは大まかではありますが、

(1)1980~1999年までは、可処分所得の増加にほぼ比例して消費も増加している(バブル崩壊前と崩壊後に、有意な差は見られない)。
(2)その後2001年にかけて、プロット点は15~20兆円分左側にシフトしている(つまり、所得が15~20兆円減っても、同じ消費水準が維持されるようになっている)。
(3)シフト後はまた、可処分所得の増加に比例して消費も増加している。

という傾向が読み取れます。小野氏の成熟社会論が正しければ、プロット点は時間の経過と共に右側にシフトする(=所得が増えても消費が増えない)はずですが、現実はむしろ逆で、しかも「可処分所得の増加に比例して消費も増加する」という関係は概ね保たれています。
少なくとも、「可処分所得をいくら増やしても、人々がモノを買おうとしない」とは程遠い状況です。むしろ、「波及効果としての乗数効果」が、バブル崩壊前と同様に生きていることの有力な証と言っても過言ではないかもしれません。
なお、「成熟社会の経済学」や「金融緩和の罠」では、金融緩和が不況対策として意味が無いことの証拠として、横軸にマネタリーベース、縦軸に名目GDPあるいは消費者物価指数をとったプロット図(1990年代後半以降はマネタリーベースをいくら増やしても経済成長もデフレ脱却もしていないため、プロット点は水平に推移している)が示されている一方で、図2、あるいは横軸に政府支出をとったプロット図などは全く示されていません。これが意図的なものか否かは、もちろん定かではありませんが。

ちなみに、更なる蛇足かもしれませんが、1999年から2001年にかけてのプロット点の左側へのシフト要因はどう考えるべきでしょうか。
厳密な分析とは到底言えないのですが、家計消費との関連性が相対的に乏しいと考えられる「混合所得(自営業者の営業利益)」「利子所得(少なくとも給与所得と比べれば影響は乏しいでしょう)」が同時期大幅に(10兆円強)減少していることが一因と考えられます(前者は小泉政権下の緊縮路線、後者は日銀の量的金融緩和の影響と思われます)。
その影響を可処分所得から取り除いたのが図3ですが、大型金融破たんの翌年でデフレ不況入りした1998年やリーマンショックの翌年の2009年の下振れ、あるいはその後しばらくの後遺症を除けば、やはり「バブル崩壊後もそれ以前とあまり変わらず、可処分所得の増加に概ね比例して消費も増加している」と言えそうです。

【図3:修正後家計可処分所得(横軸)と家計最終消費支出(縦軸)の推移】

shimakura8

いずれにしても小野氏の議論は、所得分配論として参考になる部分がある可能性こそ否定できないものの、到底「ケインズ理論の瑕疵をのりこえる独自の不況理論」と呼べるシロモノではないのです。

(参考文献)
小野善康「不況のメカニズム ケインズ『一般理論』から新たな「不況動学」へ」(中公新書、2007年)
小野善康「成熟社会の経済学 長期不況をどう克服するか」(岩波新書、2012年)
ジョン・メイナード・ケインズ「雇用、利子、お金の一般理論」(山形浩生訳、講談社、2012年)
藻谷浩介・河野龍太郎・小野善康著、萱野稔人編「金融緩和の罠」(集英社新書、2013年)
Ono, Yoshiyasu: “The Keynesian Multiplier Effect Reconsidered,” Journal of Money, Credit and Banking (2011)

→ 次の記事を読む: 乗数効果低下論は主流派経済学の錯覚 ー 失われた20年の正体(その16)

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西部邁

島倉原

島倉原評論家

投稿者プロフィール

東京大学法学部卒業。会社勤めのかたわら、景気循環学会や「日本経済復活の会」に所属。ブログ「経済とは経世済民なり」やメルマガ「三橋貴明の『新』日本経済新聞」執筆のほか、インターネット動画「チャンネルAjer」に出演し、日本の「失われた20年」の原因が緊縮財政にあることを、経済理論および統計データに基づき解説している。

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コメント

    • アヴァトレード・ジャパン 丹羽広
    • 2016年 2月 05日

    島倉さん、

    ごぶさたしています。

    アヴァトレード・ジャパンの丹羽です。

    偶然ですが、本日が、乃木坂ワイン倶楽部ヴィラージュの最終営業日となります。お世話になりました。

    じつはわたくしも秘密結社的な経済学の研究会に属していて、小野さんの論文が話題になり、ちょっと探っていたところ島倉さんのブログにたどりつきました。勉強になります。ありがとうございました。

    乃木坂ワイン倶楽部ヴィラージュ
    オーナー呑むリエ 丹羽広

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