右翼と左翼という分類はほんとうに死んだか

中野剛志さんの考えは明確で、先程の文章に続いて次のように述べています

中野 第二次世界大戦前後の歴史はよく知らないけれども、私の理解では、戦争が戦争が始まって総力戦になったからファシズムのようなことになったにすぎません。実際には、むしろ日本の農村共同体が壊れかけたから、社会秩序が動揺して、戦争に進むことになったという面もあるわけです。昭和恐慌などで農村が破壊されて、農家の若者たちが、食えない。姉や妹が身売りされるのを見て、「この国を悪くしたのは誰か?財閥だ」となって、「軍隊に入って、社会を改革しよう!」というメンタリティに駆り立てられて、それが軍国主義的・全体主義的な動きにつながっていったという側面が強かったのでしょう。
 もし、前近代的な農村共同体が強固なものであったのならば、全体主義のようなことはむしろ起きないはずなんです。全体主義は前近代ではなく、近代の現象です。

つまり、中野剛志さんは、先の文章において、戦後左翼的な歴史観を定義した上で、後の文章で自分はそのような歴史観とは真逆の立場に立っていると表明しているワケです。

その他にも80年代に流行した「イデオロギー闘争の終焉」を宣言したポストモダンの考え方や、そこから派生していったオタク文化の礼賛等も、思想としては相当に左翼的であると言えるでしょう(もっとも、現在オタク文化を礼賛している論者の多くは自分は左翼ではないと主張していますが)。さらに、反原発運動家のうちでも鶴見済(『完全自殺マニュアル』『人格改造マニュアル』等の著者)や雨宮処凛等は「脱原発運動の最終的な到達点は、反資本主義であり、現在の資本主義体制を打倒して新しいシステムを構築することが自分たちの理想である」等の発言をしており、ここまでくると、(少なくとも現在においては)相当にラディカルな左派論客であるといえるでしょう。

正統な右派、言わば「保守」はどこに

一方で、保守の文脈の中で、「彼らこそが純粋な保守である」と断定可能な保守の一郡を探すことは困難ではありますが、トクヴィルやオルテガやシュペングラーといった近代的な社会制度や政治制度を批判的に論じた大衆社会批判論の系譜を引き継ごうとする論客等は、いわゆる戦後左派的な価値観、世界観に対抗するという意味において右派的、あるいは保守的であると言えるでしょう。もっとも、そのような思想的な流れを汲んだ保守論客というものの数は日本においては非常に少なく、私の知る限りでは、西部邁やその弟子たちに限られます。

もちろん、このような分類を行えば、「それは、お前が勝手に定義した左右の分類に過ぎないだろう!!」とか「なんで、日本の価値を保守する保守論客が西洋の知識人の流れを引き継がなきゃいけないんだ!!」あるいは「この定義ではあまりにも保守の範囲が狭すぎるだろう!!」等々、様々な批判があるでしょうが、一応、このような観点から思想を眺めるなら、比較的綺麗に思想の左右を分けることが可能であることを考えると、安易に「もはや思想を右とか左とかの基準で分ける時代は終わった」と思考を丸投げして捨て台詞を気取って吐くよりは、幾分ましな比較分類が可能になるのではないかと思います。

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西部邁

高木克俊

高木克俊会社員

投稿者プロフィール

1987年生。神奈川県出身。家業である流通会社で会社員をしながら、ブログ「超個人的美学2~このブログは「超個人的美学と題するブログ」ではありません」を運営し、政治・経済について、積極的な発信を行っている。

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コメント

    • しん
    • 2014年 8月 07日

    はじめまして。
    面白く拝読させて頂きました。

    1点だけ質問がありコメントさせて頂きました。

    それは「もはや思想を右とか左とかの基準で分ける時代は終わった」という言葉が何故思考の丸投げや思考停止に繋がるのか?という質問でした。

    文中で理解する事ができませんでした…多分これ私の読解力の弱さです。

    すいません。

    私としては「もはや思想を〜」をはじめて聞いた際に「もはや政治や社会的な思想は複雑化しているから二極化して簡単に争える程シンプルな時代ではなくなった
    。または、もともと二極化シンプルな考えができる程簡単なものじゃないんだから1人1人の思想について向き合って」と言われたような気がしました。

    「思考する」ということ自体の認識のズレもあるかとは思うのですが、私は「二極化」という言葉を聞くと。
    「少ない選択肢に当てはめた方が色々考えなくていいし楽(効率的)だから右左に当てはめて考えよう」というイメージがあり、それが「思考している」とはどうしても思えませんでした。

    むしろ「この人は何をどう考えているんだ?」という事を右左という属性に依存せず情報収集するという事が「思考する」という認識でした。

    相手に対して情報収集する事が逐次「思考の手伝いをしてくれる」と考えていました。
    なので、むしろ「もはや思想を〜」の言葉は
    「もっと思考をしなければならない」と受け取ったのです。

    政治や社会的な思想というものは宗教と同じで一つの神を崇拝するのにユダヤ教・キリスト教・イスラム教があり、
    それぞれの中にまた宗派がいくつもあって、と
    いうようにいちいち枝葉に別れある団体は繋がってたりある団体は繋がってるようでもはや独立したりしているもので、その一つ一つが凄く強固なものでなかなか一口に言えないもの、と考えています。

    長々とすいませんでした。

    良かったら再度説明頂けませんでしょうか?

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