オウム真理教問題と現代日本の抱える親子関係の歪み
- 2014/1/30
- 思想
- オウム真理教, 中野剛志
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中野剛志氏の指摘する「幼稚な、または歪んだ愛国心」
また、このような幼稚な愛情関係は、親子関係以外にも見られます。(男女の恋愛観の中にもこのような傾向は色濃く反映しているように私には思えるのですが、それはひとまず置いておいて・・・)現在、官僚で評論家の中野剛志さんは『まともな日本再生会議』という本の中で、日本人の抱くある種の未成熟な愛国心についてランキングナショナリズムという言葉を用いて説明しています(少々長いのですが、重要な問題なので、全て引用させていただきます)
安倍政権は保守色が強いとされ、また安倍首相は、海外からはナショナリストと認識されています。
まずナショナリズムに関してですが、安倍首相はことあるごとに「日本経済を強くし、世界一を目指します」などと言います。2013年3月の施政方針演説では、訳40分の演説中、「世界一」を7回も使いました。
この演説では「日本を世界の成長センターに」というセンター(中心)という言葉も使いましたが、2020年東京五輪決定後にも、安倍首相は「世界の中心で活躍する日本の姿を、世界中に発信していくことが、東京開催決定の感謝の気持ちを表す最善の道と考える」と言いました。
安倍首相は「世界一」「センター(中心)を目指すというわけです。しかし、これはナショナリズムの履き違えです。
安倍首相のナショナリズムは「オリンピックで世界一になりました」というような同じルール、同じ基準で比べて自分たちが一番になったというもの。そこでは世界の基準は一つ、文化の優劣を前提としています。GDP(国内総生産)や金メダルの数といった基準で、一律にグローバルな競争をしてほかの民族よりも優れているということを競うという、いわば「ランキング・ナショナリズム」なんです。ランキング・ナショナリズムは、グローバルに汚染されたナショナリズムなのです。
でも、本来のナショナリズムは世界の国ごとの多様性が生み出す価値の違いを尊重すること、ではないでしょうか。
たとえば、世界三大珍味の一つ、フォアグラは「世界一美味しい」といわれているけれども「いや、私はこの塩辛の方が好きだ。なぜかって?それは昔から食べているからだ、以上」。これが多様性を尊重する本来のナショナリズムです。九州出身の人は地元の塩辛が好きで、もしかしたら、山口の塩辛の方が美味しいかもしれないけど、「俺は地元の塩辛が好きなのだ」という、自分の村で暮らしてきて、その村の産物を食べるというのは健全なことで、それが文化であり、それが世界の多様性を生み出している。慣習的で愛着を持っているものをそれぞれに尊重する。これが健全なナショナリズムです。
世界には美味しさの基準はたくさんあって、国ごとにそれぞれの価値観がある。そのそれぞれの価値観を守ろうというナショナリズムであるべきなんです。ナショナリストは、自分の国が客観的に見て世界一ということを自負するのではなく、自分にとって一番いい国だから自負するのです。ギリシャを例にとれば、いくら周囲から見ればひどい状態でも、ギリシャ人にとってはかけがえのない国である。これが本来のナショナリズムです。
どうでしょう、中野剛志さんが、不健全なナショナリズムであると説明しているこの「ランキングナショナリズム」ですが、先に解説した上祐氏の述べた歪んだ親子関係である「条件付きの愛」と酷似しています。つまり、これは「日本が他国と比較して優れているから日本に対して愛国心を抱きます」あるいは、「日本は他国と比較して優れているのだから、愛国心を持ちましょう」というカタチのナショナリズムなのです。
それぞれ、庶民の一般家庭における愛情関係の歪みが、国家の中枢における、あるいは国民と国家の間における未成熟な愛情関係を生み出したのでしょうか?あるいは、国家の中枢のおける未成熟な愛情関係が、一般家庭における愛情関係を歪めたのでしょうか?これはおそらく、卵が先か、鶏が先かの議論でしょう。
「国民のレベル以上の政治家は生まれない」という言葉がありますが、この安倍政権における不健全なナショナリズム、愛国心は、国民の一定割合、おそらくは大多数の抱く未成熟な愛情関係や精神を反映しているのではないでしょうか。
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