『夢幻典』[虚式] 無神論

 一つの時間軸の殺害は、真・三位一体を崩す。
 その象徴が示す三つの位とは、自・今・神である。
 自と今と神は、一つの体であると主張される。
 真なる三位一体は、開闢であると主張される。
 しかし、連環理により、それは開闢ではなく創世であると示される。
 連環理により、三位とは、自・今・界であると暴かれる。
 では、自・今・界の三位こそが開闢なのか。
 連環理により、それを開闢と言ってしまった刹那が示される。
 その刹那において、それが開闢と呼ばれるがゆえに、もはやそれは開闢とは言えなくなる。
 その構造そのものによって、連環理が示される。

 世界が在ることが、世界が有ることによって。
 世界という在るものが、世界という有ることによって。
 その逆論理を排斥することによって、ここに一つの体系が示される。
 故に、その排斥の排斥によって、一なる神の体系が示される。

 ここに、逆論理の排斥が語られる。
 なぜに、排斥の排斥は為されえないのか。
 なぜなら、在るものから有ることが導かれるためには、
 やはり、有ることから在るものへと繋がるのだから。
 有ることにおいてしか、神が在ると導くことはできないのだから。
 概念を超えた有り型を、神という概念の在り方によって導くことは誤謬なのだから。
 だから、その逆は成り立たない。

 その明確な論理によって、一つの体系が語られる。
 その論理は、連環理と呼ばれる。
 なぜなら、すべては廻り巡るのだから。
 そこに楔(くさび)を打ち込むことは、
 考えることができるのだとしても、決してできはしないのだから。

 その道理において、無神論すら語られない。
 なぜなら、無神論を語ることによって、一なる神の底に至るから。
 その底において、それを掘り進めることができないから。
 ここにおいて、無神論を語ることによる、無神論の語りの不可能性が成り立つ。
 (ゆえに、その不可能性の成立によって、一なる神への信仰が成り立つ)
 ゆえに、無神論は自然数の式を持たず、虚式として示される。

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西部邁

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