『聖魔書』[3-3] 神話録
- 2016/2/10
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《神の存在証明》
神の本質は完全である。これは定義である。
完全な神は、存在していなければならない。これは定義である。
故に、神は存在している。
そして、これらの定義が特定の思考体系で受容されている。
よって、神の存在は証明されている。
《神の存在未証明》
神の本質は、完全である。
完全ならば、現実に存在していなければならない。
故に、神は現実に存在している。
しかし、存在は個体の性質ではなく、完全性に寄与しない。
よって、神の存在は確証されない。
《神の存在非証明》
神の本質は、完全である。
完全ならば、存在することが可能でなければならない。
故に、神の存在は可能である。
神の本質は、完全にある。
完全ならば、現実に存在することが可能でなければならない。
完全ならば、現実に存在しないことが可能でなければならない。
故に、神は存在し、かつ、存在しない。
しかし、これは矛盾である。
よって、神は存在するとも、存在しないとも言えない。
《神の存在不証明》
神の本質は、完全である。
完全ならば、存在することが可能でなければならない。
故に、神の存在は可能である。
神の本質は、完全にある。
完全ならば、存在することが可能でなければならない。
完全ならば、存在しないことが可能でなければならない。
故に、神は存在し、かつ、存在しない。
では、この現実世界において、神は存在するか?
神の本質故に、神が現実に存在する世界は、完全でなければならない。
この世界は不完全である。
よって、この現実世界には、神は存在しない。
《神の存在無証明》
神は現実に存在する、と定義する。
故に、神は現実に存在している。
神は現実に存在しない、と定義する。
故に、神は現実に存在していない。
神は現実に存在する、と定義する。
にもかかわらず、‘神’は本当には存在していない。
神は現実に存在しない、と定義する。
にもかかわらず、“神”は本当に存在している。
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