Googleに笑われながら絶滅する日本車メーカーの笑えない現状
- 2015/10/12
- 社会
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でも機械が圧倒的に優れている部分もある。たとえばマルチ・タスクの能力。人間にマルチ・タスクの能力があるのかどうかを脳機能学者に議論させたら、面白い話が聞けると思うけれど、仮にあるという前提で考えても、それは無限ではないし、数値化も難しい能力です。でもシステムのそれは事実上無限です。
自分の車の全周で発生している数百の現象を、毎秒数千回計算して脅威判定して対応できる。こんなことは、人間には、経験の範囲内でしか出来ない。だいたいにおいて、その経験とやらは、ドライバーの驕りでしかない。
繁華街によくある、違法駐車駐輪の車の間を縫って走る時に、車の陰から子供は飛び出して来るわ、前後からママチャリが縦横に走り回り、歩行者がバックミラーを掠めて歩くような状況でも、システムはその脅威を漏れなく感知し、瞬時に評価して行動を決定する。
道路の真ん中を走る自転車がいたから何だっていうの? そんなのはただの動く障害物に過ぎない。
システムは安全係数のマージンを大きく取るだろうから、繁華街では立ち往生するという意見がありますが、そういう問題はハードルとしては残るでしょう。ただ、そういう状況では、ドライバーだって立ち往生するでしょう。「いや私は走れる」という人がいたら、私は歩行者として、「止めて下さい。危険だから」と訴えます。この技術は、違法駐輪と歩行者で道が細くなった道路を、無理矢理こじ開けて走るための技術ではないし、そんなことは、ドライバーにも止めて欲しいです。
現実としては、歩行者が自動運転の車を舐めて向かって来るというせめぎ合いも当然起こるでしょう。現状では、ドライバー同士、歩行者とのアイコンタクトも出来ないし。ただアイコンタクトは一方で、サンキュー事故みたいな事故の原因を作っていることを考えると、便利ではあるけれど、交通のノウハウとして依存すべきものでもない。できればやらずに済む方向へ向かうべきです。そしてそれは、繁華街では、自動運転はできないという理由にもならない。最後まで残る問題は、根気強くクリアしていくしかない。でもこの技術は、繁華街を人も車も安全に利用するための技術です。
人間ならそれが出来るというのは、ドライバーの驕りです。ドライバーは、ドライバー視点で、ママチャリの傍若無人な走り方を非難するけれど、われわれ歩行者から見れば、なんでこんな所に車が入ってくるんだよ? というのが繁華街の道路です。
ドライバーが乗っている車なら、歩行者にプレッシャーを掛けて道を開けて繁華街を走れるとしたら、それは単に暴力です。それが歩行者と車の正しい関係と言えるのか?
繁華街での運転スキルを云々自慢する人々って、歩行者からみると、相当に強引で危険なドライバーですよ。本来、ドライバーが身につけなくて済む技術を自慢している。
人間ドライバーと自動運転車の混在は無理だというご意見もあるけれど、別に問題はない。自動運転車が、人間ドライバーに配慮した運転を心がけるだけのことです。ブレーキの踏み方だって、前後のマージンを精確に計測して把握できる自動運転車の方が上手いでしょう。急ブレーキなんて掛けない。きっとシステムが、タイヤの減り具合と路面状況まで計算してブレーキを掛ける時代がすぐ来ますよ。オカマ事故も劇的に減らせる。
もう一つ。私は別に四半世紀後の話をしているわけじゃありません。ほんの5年10年の話です。その間に船を出さないと、日本の自動車メーカーは全滅ですよ。最後まで自動運転に抵抗するだろうガラパゴス市場で、日本人は何を躊躇っていたんだ? とGoogle に笑われながら絶滅する羽目になる。
『日刊 大石英司の代替空港』2015.5.3号より一部抜粋
著者/大石英司
作家、鹿児島県出身、川崎市高津区在住。国内外の注目ニュースに関して alternative な視点を提供するメルマガはビジネスマンなら必読です。
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