僕たちの首相は憲法一三条を知らない~安倍総理と憲法解釈の問題点~
- 2015/10/2
- 政治
- 24 comments
新しい政府解釈による集団的自衛権の根拠も一三条に拠っている
ここまでで、これまでの日本の自衛隊と自衛権に関する憲法による根拠の一切は、個人の生命と幸福追求の権利を規定した憲法一三条にのみ拠っていることを解説しましたが、実は昨年なされた政府解釈の変更による集団的自衛権の限定的行使容認の根拠もまた憲法一三条に拠っています。
では、これを確認するため実際に「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」(http://www.huffingtonpost.jp/2014/07/01/right-of-collective-self-defense_n_5549648.html)の文章を読んでいきましょう。
憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法第13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されない。一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。
これが、従来の政府解釈であり、集団的自衛権の行使容認も、この「国民の平和的生存権」や憲法第13条が定める「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を守るための必要最小限度の「武力の行使」に限定されなくてはならない旨を記しています。そして、結論として、
こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。
と、あります。
また、安倍首相が今回の安保法制と集団的自衛権の行使に関する国会答弁で繰り返し述べている武力行使の新3要件の内容は、
(1)密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある(存立危機事態)
(2)我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない
(3)必要最小限度の実力行使にとどまる
の3点からなりますが、この3要件は先ほどの閣議決定の内容、つまり憲法一三条による国民の権利を守るための最低限度の武力行使に限定されるということを踏まえてのものです。
ここで、再び最初の問題に戻ると、今回の安保法制や政府解釈の変更の最大の問題点の一つは、そもそも憲法一三条とその内容を知らない安倍首相は、「政府解釈の変更を行った!!」などと言っていますが、そもそもその解釈を行った安倍首相その人が、変更前の政府解釈も、変更後の政府解釈とその根拠も全く理解できていないという可能性があるということです。
社会学者の宮台真司氏は、安倍首相の憲法解釈の変更に関して、「お前ごときに憲法の解釈を変えるような権利はないよ!!」と言ったことがありますが、このような安倍首相の無知や認識の甘さを考えるなら、この宮台氏の発言も「うむ、なるほど確かにそうだ!!」と名得せざるを得ないのではないでしょうか?
2
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。