私徳と公徳のジレンマについて

私徳を貫くことが、公徳の次元で大きな社会的デメリットをもたらす

もちろん、このような状況で、「世の中けしからん!!」と怒ったり、不満を漏らしたりすることはいくらでもできるでしょうが、藤井聡さんは、それらを踏まえた上でこのように語っています

で、そういう状況にですね、今土木があるわけですが、しばらく前には必ずしもそういう状況に立ち至ってなかったわけですね、土木全体が。90年代後半くらいまではそれなりに政権が公共事業、あるいは国土計画の重要性というものをしっかりと認識し、色々な議論が国会とかメディアとかであっても、それはちゃんと虚心坦懐 聞くべきものはお聞きして、しっかりとやっていくと。そういう意味で単純化された議論というのがなかった時代があって、その記憶が20年くらい前にあったので、それを未だにお持ちの方が多いってのがあるとは思うんですが、おそらく、21世紀になったあたりからですね、本当にデフレになったあたりから状況が完全にいじめっ子の状況になってですね、守るべき人が公共事業を守るという事を放棄し始めて、でも土木の人はずっとメンタリティーが変わってないって状況がある。

で、それで中野さんなんかに京都大学にお越しいただけないでしょうかなんてことをお話している時に、僕の気持ちはこうだったんですよ。たとえば、先ほどの男は黙ってサッポロビールで、ビールを頼んでも出てこないと、もう何も運んでこないってことで、困るのはこの状況でこの人だけなんですけど、ただこの人が土木になると、この人が困ってるって事は日本の未来が斜陽していくわけですから、もう傾いていく。で、ここで黙っているのは、美意識を貫くという私徳を貫くことが、公徳の次元で非常に大きな社会的デメリットをもたらす。それが一番分かりやすいのが、大災害という人の大量死であったり、あるいは色んなインフラ老朽化による大きな事故とか、それはもう目に見えてわかってたわけですから、男は黙ってサッポロビールなんていう私徳をやってる場合じゃないっていう。

そうすると、これはもう東京物語の笠智衆のやってるようなのは、美しいかもしれないけども、笠智衆に物凄い責任があるとですね打って出て戦わないと、「この野郎!!」とか踊らないけない局面もあるかもしれない。それは私徳の点ではおぞましいと言われるかもしれない公徳の点ではそれは必要はあるんじゃないかという大局を見て取ると、喧嘩をする、あるいはオルテガの大衆社会論的な話で、批判をしている人たちにあえて喧嘩を挑んでいくと、そういう構造が必要なんじゃないかなあと当時思っていたわけです。
11/25 藤井聡×中野剛志「築土構木の社会科学1(土木バッシング論)」

ここで藤井聡さんは、公徳のために私徳を犠牲にするという話をしているのですが、ここで私はあえて、藤井聡さんが語っていない一つの論点を付け加えたいと思います。公徳のために私徳を犠牲にするのであれば、その私徳の犠牲は完全に正当化されうるのか?という問題です。

私の考えでは、この問題の答えは否であり、たとえ私徳を超えた公徳を目的としていたとしても、この私徳の犠牲は完全に正当化されうるのではなく、むしろ、公徳を目的とするのであればこそ、強烈に私徳の犠牲という問題を意識化することが重要なのだと私は考えます。

古い日本語でいえば、「恥を忍ぶ」という感覚であり、もう少しくだけた言い方をすれば、「恥ずかしながら、○○をさせていただく」という感覚でしょう。おそらく、これは目的のためには手段は正当化されうると信じて疑わなかった全共闘世代などに決定的に欠けていた精神でしょう。

以前、何度か紹介させていただいた三島由紀夫であれば、

「それほど否定してきた戦後民主主義の時代二十五年間、否定しながらそこから利益を得、のうのうと暮らして来たといふことは、私の久しい心の傷になつてゐる」

という言葉。戦後民主主義を徹底的に批判しながらもそこから利益を得てのうのうと暮らしてきたことに対する負い目を常に意識していた事がこの一文からはっきりと読み取れますが、果たして、偉そうに現代社会の批判を行っている言論人のうち、どれだけの人がこの三島の久しい心の傷に心底共感できるでしょうか?実際のところ(もちろん、私自身も含めてですが)、どれだけ、現代社会の問題点をあげつらって否定、批判をしてみたところで、「それでも、飯を食っていけるだけの金は稼がないといけないのだから」完全に開き直り、自分が否定していたはずの現代社会からの恩恵を当然のものとして受け入れているのが現実でしょう。

→ 次ページ:「殺人散財は一時の禍にして、士風の維持(=痩我慢)は万世の要なり」を読む

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西部邁

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コメント

    • mimi
    • 2013年 12月 06日

    前回の投稿から拝見させていただいております!
    まったく違う次元でのお話ですが、、日本のロックバンド、エレファントカシマシの「ガストロンジャー」という曲の歌詞を思い出しました。(三島由紀夫のくだりなど特に)
    私以外の中年のエレカシファンにも共感していただけそうな内容です。
    「日本の」ロックバンドの王道を歩むエレカシの音楽と、根っこの部分でつながっている気がしてなりません。
    (恥ずかしながら、、)私の個人的な趣味を晒したようですが、誰か1人の心に引っ掛かり、公徳へ繋がっていけばと思い勇気を出してコメントさせていただきました。

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