私徳と公徳のジレンマについて
- 2013/12/5
- 社会
- 中野剛志, 福沢諭吉, 藤井聡
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「殺人散財は一時の禍にして、士風の維持(=痩我慢)は万世の要なり」
また、もう少し古い話を持ち出すとすると、福沢諭吉の痩せ我慢の説もまた、この功徳と私徳の問題について、深い洞察を与えてくれます。
<痩我慢の説>
(福沢)諭吉は、敵に対して勝算がない場合でも、力の限り抵抗することが痩我慢なのだという。そして、家のため、主人のためとあれば、必敗必死を眼前に見てもなお勇進して徳川家康を支えた三河武士の「士風の美」を痩我慢の賜物として賛美する。そして明治維新という政権交代の本質は薩摩・長州藩と徳川家の権力闘争であるから、三河武士により構成される徳川家としては、佐幕派の諸藩と連携して徹底抗戦すべきであり、いよいよ万策尽きたら江戸城を枕に討ち死にするのみで、かくありてこそ痩我慢の精神が全うされると、諭吉は主張する。
ところが勝海舟は、幕臣は役に立たない、薩長藩士には敵わない、抗戦は社会の安寧を損なう、慶喜の一命を危険に晒す、外交上得策でないと理由を並べたてて平和裡に江戸城を明け渡してしまった。こんなことは世界でも類をみないことで外国人は冷笑したであろう、と海舟の講和策を非難する。
さらに海舟は内乱は無上の災害や無益な浪費を招くから、勝算のない限りは速やかに和すべしとしたが、その心底には痩我慢は無益なものという考えがあり、古来日本の上流社会が最も重視してきた痩我慢の精神に人々の目を向けさせないように仕向けたのだ、と諭吉は言う。
もちろん勝算がないことは諭吉自身もそう思っていたが、士風の維持の観点からは国家存亡の危急時に勝算の有無は言うべきでない、戦う前から必敗を期してひたすら講和を求めたことは、戦禍を被ることは少なかったかもしれないが、立国の要素たる痩我慢の士風を損なったのである、と海舟を糾弾する。
つまり諭吉は、「殺人散財は一時の禍にして、士風の維持(=痩我慢)は万世の要なり」という考え方であった。
もっとも諭吉は、勝氏もまた人傑なり、と述べ、人命を救い財産を守った功績は認めているが、独り怪しむべきは、氏が維新の朝に、さきの敵国の士人と並び立って、得々名利の地位に居るの一事なり、と指摘して、この頃枢密院顧問を務め伯爵となっていた海舟を、敵対していた官軍、つまり明治政府に仕えて名利をむさぼっていると弾劾する。
そして諭吉は、戦わずして和議を進めた海舟の行為は一時の方便であって、本来立国の要である痩我慢の精神からは許されるものではなく、武士の風上にも置けない。後世の者は決して維新の真似をしてはならないと自己批判して、現在の官職や栄誉を捨てて隠棲せよ。そうすれば世間も海舟の清廉さを評価し、維新時の決断も海舟の功名に帰するのだ、と海舟に迫る。
またこの頃、外務大臣を務めていて子爵となった榎本武揚にも諭吉の矛先は向かう。海舟と同じく敵国の明治政府に仕えて高位高官にのぼっていることを、その功績を無にするものだとして隠棲を求めている。後世に美名が伝わるかは自己の決断次第である、とお説教している。
(福沢諭吉と痩我慢(やせがまん)の説)
つまり、ここでは、「敵に対して勝算がない場合でも、力の限り抵抗することが痩我慢」という私徳であり、戦わずして和議を求めた勝海舟の姿勢は公徳を目的としたものであると解釈できるでしょう。そこで、福沢は、公徳を取るために、私徳を犠牲にし、痩せ我慢の士風を損なった勝海舟に対し、「武士の風上にも置けない。後世の者は決して維新の真似をしてはならないと自己批判して、現在の官職や栄誉を捨てて隠棲せよ。」と迫るのです。
結局、このような提案に対し、勝海舟は、所詮学者の考えであり、私のような国家に責任ある人間とは立場が違うとして鼻で笑って一蹴したのでありますが、この福沢の提案を鼻で笑って一蹴した勝海舟らが樹立した新政府の道徳的なレベルを考えるとすれば、この新政府に対し、「義なき国家は滅ぶべし」と吐き捨てながら西郷隆盛に去られたとという事実からまさに推して知るべしといったところでしょう(もっとも、明治維新といえば、数々の日本史の英雄たちによって成し遂げられた偉業であり、果たしてそれによって成立した新政府がどれだけ道義的レベルが低下していたとしても、現代のどのような政権とも比べるべくもないレベルであったと推測されはしますが)。
まあ、何やら大層な話を色々と持ち出してきましたが、最後に一気に身近な話にまで次元を落としてまとめたいと思います。現在、にわかに政治ブームのような現象が発生しており、特に若者のあいだでは政治に興味を持ち、積極的に政治に関わろうとする若者や言論人の数も増えてきています。しかし、そのような時に注意して欲しいのが、なにか特定のイデオロギーや教義にズブズブに入り込んで、自分に酔った状態で、何が自分が物凄いことをやろうとしているとか思ったり、自分が英雄か何かになった気分になどならずに、時には内面的な深い洞察から、また別の場合には客観的に、あるいは自虐的なユーモアをもって適度な自己批判をするのが良いのではないかと思います。
そのような、自己批判の過程において、今回の記事で紹介した、これら私徳と公徳のジレンマ、あるいは三島由紀夫の心の傷や、福沢諭吉の痩せ我慢の説などの話は、なんらかの示唆を与えてくれるのではないでしょうか?
コメント
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前回の投稿から拝見させていただいております!
まったく違う次元でのお話ですが、、日本のロックバンド、エレファントカシマシの「ガストロンジャー」という曲の歌詞を思い出しました。(三島由紀夫のくだりなど特に)
私以外の中年のエレカシファンにも共感していただけそうな内容です。
「日本の」ロックバンドの王道を歩むエレカシの音楽と、根っこの部分でつながっている気がしてなりません。
(恥ずかしながら、、)私の個人的な趣味を晒したようですが、誰か1人の心に引っ掛かり、公徳へ繋がっていけばと思い勇気を出してコメントさせていただきました。