集団的自衛権と憲法改正(その4)

第四章 国会

第三〇条(立法権) 立法権は、国会に属する。
2  国会は、国権の最高機関である。
第三一条(両院制) 国会は、衆議院および参議院の両院で構成する。
第三二条(国会議員の条件) 両院は、国民によって選挙された議員で構成される。
第三三条(衆議院議員の任期) 衆議院議員の任期は、四年とする。ただし衆議院が解散された場合は、その時点で終了する。
第三四条(参議院議員の任期) 参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに議員の半数を改選する。
第三五条(衆議院の選挙) 衆議院は、直接選挙によって選出される議員で組織する。
第三六条(参議院の選挙) 参議院は、直接選挙および間接選挙によって選出される議員で組織する。
第三七条(議員の身分保障) 議員は、法律の定める場合を除き、国会の会期中、逮捕されない。
2  会期前に逮捕された議員は、議員の要求がある時は、会期中釈放される。
3  議員は、院内での演説、討論、表決について、院外で責任を問われない。
第三八条(国会の種類) 国会は、通常国会、臨時国会、特別国会とする。
2  通常国会は、年一回とする。
3  臨時国会は、必要に応じ召集される。
4  特別国会は、衆議院選挙後に召集される。
第三九条(緊急集会) 衆議院が解散された時は、参議院は閉会する。ただし緊急の必要がある時は、内閣が参議院の緊急集会を求めることができる。
第四〇条(定足数および表決) 両院は、総議員の三分の一以上の出席によって議事を開くことができる。
2  両院の議事は、この憲法に特別の定めがある場合を除き、出席議員の過半数で表決し、可否同数の時は議長が決定する。
第四一条(会議の公開、秘密会) 両院の会議は公開とする。ただし出席議員の三分の二以上の賛成がある時は秘密会にすることができる。
第四二条(国会の業務) 国会は、次の業務を行う。
 ①法律の審議と議決
  ②予算の審議と議決
  ③条約の承認
  ④重要な人事案件の同意
  ⑤その他国政に必要とみなされる事項
第四三条(法律の議決) 法律案は、両院で可決した時、法律となる。
2  衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案は、衆議院の出席議員の過半数により再び可決した時は、法律となる。
3  参議院が、衆議院の可決した法律案を受理した後、国会休会期間を除き60日以内に議決しない時は、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなす。
4 特定の地方公共団体のみに適用される特別法は、国会の議決の前に、その地方公共団体の住民の投票による過半数の同意を必要とする。
第四四条(予算の議決) 予算案は、両院で可決した時、予算となる。
2  予算案は、先に衆議院に提出する。
3  予算案は、参議院の議決が衆議院と異なり、両院協議会によっても意見が一致しない時、または参議院が衆議院の可決後三〇日以内に議決しない時は、衆議院の先の議決をもって、予算となる。
第四五条(条約の承認) 条約の承認は、前条一項および三項の規定を準用する。
第四六条(人事案件の同意) 法律で定める公務員の就任は、国会の同意を必要とする。
2  前項の案件は、先に参議院に提出する。
第四七条(国政調査権) 両院は、国政に関する調査を行い、証人の出頭および記録の提出を求めることができる。
第四八条(裁判官の弾劾) 罷免の訴追を受けた裁判官を裁く時は、国会に弾劾裁判所を設ける。

第五章 内閣

第四九条(行政権) 行政権は、内閣に属する。
第五〇条(内閣の構成、国会に対する連帯責任) 内閣は、内閣総理大臣および国務大臣で構成する。
2  内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う。
第五一条(内閣総理大臣の指名) 内閣総理大臣は、国会議員の中から指名される。
2  衆議院と参議院が異なる指名をし、両院協議会によっても意見が一致しない時は、衆議院の指名を国会の指名とする。
第五二条(国務大臣の任免) 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。その過半数は、国会議員の中から選ばれる。
2  内閣総理大臣は、国務大臣を罷免することができる。
第五三条(衆議院の解散権) 内閣総理大臣は、衆議院の解散を決定することができる。
第五四条(内閣の総辞職) 内閣は、次の各場合には総辞職しなければならない。
 ①衆議院で不信任案が可決されるか信任案が否決され、かつ10日以内に衆議院が解散されない時。
 ②内閣総理大臣が欠けた時。
 ③衆議院選挙後に初めて国会の召集があった時。
第五五条(内閣総理大臣の職務) 内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務および外交関係について国会に報告する。
2  内閣総理大臣は、行政各部を指揮監督する。
第五六条(軍との関係) 内閣総理大臣は、軍の最高指揮権を持つ。
2  内閣総理大臣は、現に軍籍にある者であってはならない。

第五七条(国務大臣の訴追) 国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ訴追されない。
第五八条(緊急事態) 緊急事態が発生した場合には、内閣総理大臣は、国会の事前または事後の承認のもとに、緊急事態を宣言することができる。
2  緊急事態の認証及び解除は、閣議により決定される。

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西部邁

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コメント

  1.  少し遅くなりましたが、御説の驥尾に付して、愚考を申し述べたいと思います。
     お考えの根本には全く異論がありません。憲法の性格などについて、多少違和感が持たれましたが、これは以前にも申し上げたようなことで、大したことではありません。
     目下、磯崎補佐官の失言問題が大きな政治問題になっているようですが、これまた大したことではない。だいたい、「法的安定性」なんて言葉、今まで聞いたこともない、という人が大部分ではないですか?
     それはまあ、法の、特に憲法の解釈が、コロコロ変わるのはよくないですから、失言は失言ですが。しかし、逆に、一度出た法律やその解釈は、未来永劫変えてはならない、などと言ったら、そのほうがずっとまずいですよね。
     法も解釈も、時代に応じて変えるべきものです。その場合一番の問題になるのは、その変更の妥当性であることは言うまでもありません。しかしこれが、なかなか議論の焦点にならない。
     それは何よりも、憲法九条に象徴される日本の平和主義が、一身の安全を願う(もちろんそれ自体は少しも批判されるべきことではありません)国民の、感情にのみ訴えてきたせいです。戦争なんて考えたくもない、可能な限り遠ざかっていたい、そうすればわが身は安全なんだ、というような。

     この間知り合いの憲法学者が、「現憲法は安全保障の問題については何も言っていない。従って、安保法制は違憲になりようがない」と言ったのを聞いて、とても新鮮でした(彼はもちろん憲法学者の中の異端児で、今以上の出世が望めなくなるのは気の毒だな、と余計なことを考えてしまいました)。
    「強いて今回の法案の根拠を憲法に求めるなら、第九十八条(条約及び確立された国際法規の遵守)だ」
    とも。なるほど、小浜さんもご指摘のように、国連憲章でも、日米安保条約でも、それからサンフランシスコ講和条約でも、集団的自衛権は認められているんですな。
     これに対して、安全保障の問題に関しては、憲法の前文で言及されているじゃないか、と言った人がいます。「(前略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というところですね。
     これは、福田恆存が夙に指摘したように(「當用憲法論」)、「われらは国の安全保障なんて考えません」と、「積極的に」宣言したということですよね。
     世界の諸国民が本当に公正で、信義を重んじるとしたら、自分の身の安全を守ることを考える必要なんかないわけですから。むしろ、考えたら、諸国民の公正と信義を信頼していないことになるので、失礼でもあれば、危険でもある、ということにすらなる。
     こう言うと、悪い冗談のように見えますが、これは実際に、日本の平和主義を支える感情の内実だ、と言っていいようです。
     これに対してさらに、先の人は、「『諸国民』は国家とは違う」とおっしゃいましたが。いやあ、どこの国の国民でも、国に命じられても、日本を攻めるなんて不公正なことはしない、その場合は必ず国に背いてくれる、と言うならですけど、それこそ悪い冗談でしょう?

     安倍内閣は目下、このような理不尽(論理を尽くすことはむしろ拒否する)な感情を主な対手としているので、たいへんなんですが。それはまあ、現首相のお祖父さんの時も、さらにその前も、そうだったので。もうみんな、飽き飽きしませんかねえ。
     私のような一庶民とは違い、政権政治家は、現実を動かさなくてはならないので、どうしても現実と妥協しなければならないところもある、とは理解できます。それにしても。
     小浜さんがおっしゃるように、安保法案は、ネットを含めた各種報道で具体的に中身を知ることができますし、各種の解説も現になされています。それでも理解できない、という庶民を相手に、できるだけ噛み砕いて伝えようとすると、ちょっと「え?」というような感じになることがあります。
     この間安倍首相自らがTVで言っていた、「今までは自分の家(日本のこと)が実際に燃えたら消火活動にとりかかることができるだけだったが、今後は火の粉が飛んできた時点で対処できるようになるんだ」というの。どういう比喩か、実際の法案にあてはめるのに、かえって大きな知力と労力がかかってしまいそうな。
     それから、最初の頃言われていた、「韓国で戦争が起きた時、日本人がアメリカの船で避難しようとしたら、その船が攻撃された、その場合……」云々も、言いたいことはわかりますけど、その前に、話がやたらに細かいので、「本当にそんなことがあるの?」と思われてしまいませんか?

     問題は、前述の「感情」から「論理的」に出てくる、最も基本的な「戦後レジーム」から、安倍内閣といえども脱却できないところにあるのです。即ち、
     ①日本自身はわが身の安全保障を考えることはできない。②その代わり、日本はアメリカに守ってもらう。③ただ守ってもらうわけにはいかないので、アメリカにできるだけ協力する。
     こんな順番でしか考えることができない。本来は、
     ①自分の国は自分たちで守る。②しかし現在、単独防衛は極めて困難なので、アメリカの協力を仰ぐ。③ただ協力してもらうと言うわけにはいかないので、相手に対してこちらも応分の協力をする。
    になるのが正常であるはずなのです。③の部分は結局同じだろうと思われるかも知れませんが、①の、主体の部分が違うということは、実際問題としてもたいへんな違いをもたらします。
     もちろん、アメリカもタダで日本を「守ってきた」わけではありません。日米地位協定の枠をも超えたいわゆる「思いやり予算」だけでも、平成7年以降年に二千億円内外の金を日本は出しています。
     しかし、「お金をあげるから、守ってね」というのはどうも……、と、アメリカ人はもちろん、日本人だって思えてきてしまいませんか? 第一これでは、戦争を否定していない。ただ、自分たちはやりたくない、と言っているだけだ。それはアメリカがやれ、と。「なんかズルい。人としてどうよ」とも。
     第一、「日本を守る」主体がアメリカにあるのでは、その点に関しては日本はアメリカの言いなりになるしかないように感じられませんか? そのために憲法の枠が役立つ、と言われるのでしょうが、辛うじてその枠内に入りそうなことなら、断れないような。
     現に、平成十五年のイラク特措法によって、我が国は、安保法制なんて待たずに、実質的にアメリカ軍の後方支援を行っているんです。このときのいわゆる第二次湾岸戦争には、周知のように、フランスやドイツは参戦を拒否しています。それは、各国にはそれぞれの事情があるに違いないので、一概に何が正しいかを言うつもりはありません。でも、どうですか? 
     日本って国は、
    「今度の戦争に理があるとは思えない。従って協力はできない」
    なんて、タテマエにもせよ、堂々と言えると思いますか? だって、どうせ、どんな戦争にも協力しないのが国是(これもタテマエですが)なのに。そんなエラソーなことを言うのは、柄に合わない、と、自ら思えてこないですか?
     思想的には、これこそ一番乗り越えるべき戦後レジームではないでしょうか。
     ただ前にも言ったように、現実には、いろんな妥協を経なければものごとが進まないのも本当でしょう。早い話が、憲法を変えようとしても、当分はできそうにない。ならば、姑息な弥縫策に見えないことはなくても、今度の安保法案も一つの試みとして、賛成せざるを得ない、と現在のところ私は考えています。
     これによって、アメリカの都合だけで戦争に駆り出されるんじゃないか、という心配とは真逆に、少しでもかの国と対等にものが言える立場に、「心理的に」近づくためには、世界には戦争はあるんだという厳然たる事実からは目を背けないことが大事だと思いますから、その意味で。
     それとは別に、市井の言説者としては、憲法改正を考える形で、根本的に「戦後」の総体を乗り越える思索を積み上げていきたいものです。この点でも、小浜さんの活動は貴重で、もとより微力ではありますが、共闘していきたいものだ、と考えます。

     私の悪い癖で、また長広舌になってしまいました。最後に、お詫び申し上げます。

  2. 由紀草一さんへ。

    意と理を尽くしたコメント、ありがとうございます。
    言いたかったことを丁寧に代弁してくれているようで、あまりつけ加えることはないのですが。二言、三言蛇足を。

    繰り返しになりますが、法案の国会審議は、どんなにおかしな憲法だろうと、その憲法の枠内でやらなくてはならないので、安倍内閣の苦しさ、涙ぐましさがにじみ出ていて、この暑いなかでまあ、愚劣な議論を相手によく辛抱するなあ、それが政治家たるものの欠くことのできない要件なんだなあ、俺にはとても出来んなあ、とヘンなところに感心しているわけです。

    ですから、そもそも現憲法の建前の下では日本は自分の国を自分で守ることができない(つまり国を挙げて安全保障を放棄している)という状態が続く限り、いかなる政権も戦後レジームを脱却できないというのはおっしゃる通りなのですが、この自分のしっぽを飲み込んでいる蛇のような状態、世界で現に起きている、また起こることが想定される戦争に対して、国家として何も公式的な意見を言えない状態は、とにかく何とかしなければいけませんね。

    その場合、一番厄介なのは、これもおっしゃる通り、国内世論の多数を占める法制化反対意見のうちに巣食っている「理不尽な感情」ですね。これは、60年安保の時にすごい勢いで盛り上がった(そして潮が引くように鎮まり、今ではあの改定に誰も反対しない)ことからもわかるように、いつの時代でも同じです。挑発的なニーチェの言葉を引用するなら、「賎民が論拠なくして信じたことを、どうして論拠をもって覆すことができよう。」

    今度の場合は、左翼マスコミがいくらたきつけようと、国会前のデモ・集会はわずか400人だそうですから(このみすぼらしいさまを、中立性の装いのもとにさも大事であるかのように必ず時間を割いて報じるNHKの姿勢も問題ですが)、運動としてはほとんどないも同然。これがせめてもの救いと見るほかはなく、このたびの安保法制化にしても、自主憲法構想の議論にしても、あまり感情的反対論など気にせずに「粛々と」進めるほかはない、という月並みな結論に落ち着くでしょうか。

    「憲法の性格」に関する私見(主として「国民主権」否定論と、いわゆる「立憲主義」的解釈への異論だと思いますが)についての貴兄の違和感に関しては、大事な論点だと思いますので、機会があれば議論を深めましょう。

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  1. 2014-8-6

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     はじめまして。今回から寄稿させていただくことになりました青木泰樹です。宜しくお願い致します。  …

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