変わらないものではなく、変えられるもの。
ただこの劣等感ですが、
「成長しえるもの」
であることが、重要な点です。
たとえば
「お金持ちになりたい」
「もっと仕事ができる人になりたい」
とかであれば、行動によって変わりえるので、意味はあります。
しかし
「私は身長が低い。180cmの人に比べて劣等感がある…。180cmにならないと…」
とか、
「私は胸が小さい。Fカップになれないから劣等感を感じる…」とか、
「自分は髪の毛がない。髪の毛が再びフサフサにならないと劣等感が…」
というようなものは、アドラー先生に言わせると「意味がない」とされます。
すなわち、劣等感であっても、変えられるものと変えられないものがある、というわけです。
変えられないものも、その先は変えられる…?
当然ですが、身長やバストサイズ、髪の毛などは、それこそ基本的には「変えられないもの」です。
変えられないものに関しては、いくら悩んでも無意味であり、それを劣等感として持ち続けることには意味はありません。
それは多かれ少なかれ「受け入れる」必要があり、いい意味であきらめることが大切だと言いました。
ただもちろんですが、美容外科の手術などで変えることができて、そのオペ代のためにお金を稼ぎたい…という、明確な目標が定まっているのなら、それは意味があります。(ただ当然ハードなことではありますが…)
しかしながら、たとえば
「身長が低いからモテない」とか、
「バストが小さいから愛されない」
というような、根本的な劣等感があるとするなら、その「モテる」「愛される」というのは、努力や行動によってリカバーが可能です。
当然ですが、身長が低くてもモテている人はいますし、バストも愛は直結しているわけではありません。髪の毛だって関係ありません。
ただそれを理由にして「だからダメ」と思うのなら、それは今までに話したように、「本当はモテるための行動をするのが面倒くさい。自分を磨いたりするのが面倒くさい。告白するのが大変でイヤだ。だからこそ、それらを理由としてモテない、として動かない言い訳を作っているのだ」ということになります。
いずれにしても、「変えられないもの」は、確かにあります。
しかしながら、「そうでなくてはダメ」では決してありません。
その理由によって「できない」とされている、その先の目的に関しては、いくらでも他の方法によって達成は可能なのです。
すなわち根本的には、行動すれば、変えていくことはできるわけです。
その意味で、すべての「自分はこういう悪いところがある」という劣等感は、変えられるものであり、そしてそれによって行動力が湧いてくる「いいもの」だというわけです。
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