劣等感と、劣等コンプレックスの違い。
何にせよ「変えられるもの」という前提のものでは、劣等感には意味があります。
そしてその前提で、劣等感は「いいもの」だと、アドラー先生は言うのです。
重ねて「劣等感」イコール「いいもの」だと考えておいてください。
さて。
ここでアドラー先生は、劣等感の他に「劣等コンプレックス」という言葉を提唱しています。
これは劣等感がありながらも、その劣等感を解消するために何かの行動をしていない状態のこと。
劣等感を抱いたまま、色々な言い訳や正当化をして、あきらめてしまうことを言います。
たとえば先ほどの
「俺は背が低いからモテない」とかがこれに当たります。
また「お金を稼げない」という劣等感があったとして、そこで「お金を稼ごう!」という行動に結びつくわけではなく、そのことをあきらめてしまう状態です。
劣等感を、劣等感のままずっと持ち続け、行動を何もしない…。
そんな心理こそが「劣等コンプレックス」です。
その場合、たとえば成功している人を嫉妬したり、悪口を言ったりすることがあります。
「どうせ成功してるヤツは、ズルいことしてるんだ」
「お金持ちなんて、みんな何か悪いコトしてるんだ」
と話したり…。
または成功者の悪い面を見つけて、悪口を言ったり、また週刊誌などで、成功者の転落の記事を読んで、少しだけスッとする…。
これらの安直な方向で小さく劣等感を解消しようとし、でもだからといってエンドレスに劣等感を持ち続ける状態、これこそが「劣等コンプレックス」です。
自慢する人は…?
そして逆に「優越コンプレックス」という言葉もあります。
劣等コンプレックスを強く持ち続けることに、人が疲れたとき。
「いやいや、俺は劣等感なんて感じていない!」
というかのように、いかにも自分は優れている人間であるかのようにアピールすることを言います。
たとえば大学受験で失敗した人が、
「俺は地元では有名な高校に行っていて…!」と言ったり。
モテたいのにそのための行動ができない人が、
「私も昔はモテモテだったんだ…!」
などとアピールするのも同じです。
分かりやすくいえば「自慢」ですね。
とにかく自分が優れている、ということを口に出して周囲に伝え、少しだけ自尊心を満たそうとすること。
これこそが「優越コンプレックス」になります。
言うまでもなく、ビジネスで大成功しており、そして今も毎日のように仕事が充実している人は、決して自慢なんてしません。
自慢をするのは、たいていにおいて、現在うまく行っていない人です。
そんなときに、まず劣等感を感じ…。
そしてその劣等感を解消するための行動をあきらめ、それでいて口だけで、劣等感を抱いていないかのようにアピールする。
それこそが「優越コンプレックス」なのです。
不幸自慢も。
また逆に「不幸自慢」をすることもあります。
「私、昔こんなヒドいことがあったんだ…」
そんな風に不幸を自ら話したがる人もいます。
特に初対面などでも、過去の失敗や不幸などを、延々と話す人も時にいます。
こうすると、「ええー! そんな大変なことがあったのに、今頑張ってるの、すごい!」と言ってくれる人もあるでしょう。
そうすると、本人の劣等感は、ほんのちょっとだけ落ち着きます。
また、誰かが幸せな話をしていたときに、
「あなたなんかいいよね…。私はこんな悲しいことがあったし…」
などと言えば、その幸せに水を差すことができます。
すると相対的に、「自分だけが不幸」という気持ちを解消することもできます。
何にせよ、すべて劣等感から生じているのです。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。