大阪都という名のシムシティ
大阪都構想の最大の問題は、議論の中心であった「法定協議書」を書いていたのが、堺屋太一氏や上山信一氏など、小泉政権下のブレーンの残党だったことです。
「法定協議書」の中身を読んだ方が一体どれほどいるかはわかりませんが、その中身のほとんどは府・市を一体化する上での債務や債権、資産の振り分けをどのようにしていくかということです。
おそらくは、資産償却や債権の分配などを行って、見せ掛け上だけでも大阪のBSを良くし、カジノなど新規事業への投資を呼び込みたかったのでしょう。
そもそも、小泉構造改革のブレーンが大阪へ地方営業をしに着ている時点で、“構造改革の地方興業”ですから、前述したように結局は、シムシティと同じで、かつてあった枠組みを大阪に当てはめているに過ぎません。
シムシティを超えたまちづくり
さて、ここまで散々とシムシティに代表されるいわゆる“構造改革型”のまちづくりの限界を語ってきました。ただ、限界を語るだけでなく、次の議論への展開のための考察も提示しましょう。それが「論」というものです。
さて、シムシティは与えられた条件の中で、最大限の答えを引き出すシュミレーションゲームです。考え方によっては、詰め込み型の教育の中での受験戦争はまさに、「シムシティ的」といえるでしょう。
詰め込み教育との対義語はゆとり教育になるわけです。現状の学習指導要領ではゆとり教育から方針転換されたため、今の30歳前後から中学生ぐらいまでがゆとり世代となります。
「シムシティ的」な考え方が詰め込み教育の中で培われてきたとすれば、その毒気を抜くにはゆとり教育の頭が必要となります。ただ、「過ぎたるはなお及ばざるが如し」というように、ゆとり教育一辺倒ではなく、ゆとり教育のことも相対的に評価しながら、「シムシティ的」なものを見直すバブル以降に生まれた世代が日本の未来を支えていくのは間違いないでしょう。
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