パッチワーク経済学-リフレ派の幻想-(後編)
- 2015/4/2
- 経済
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リフレ派の幻想①:実質賃金は永遠に上がらない
百歩譲って、国民の大半がリフレ派と同じ期待形成をするとしましょう。さらに日銀のコミットメントによって、予想インフレ率が上昇したとしましょう。その場合、貨幣的要因が実物的要因へ影響を及ぼす経路の存在が、リフレ派の論理にとって最も問われるところです。果たして如何なる経路で需給ギャップは埋まるのでしょうか。「予想インフレ率の上昇が、日銀のシナリオ通りに実体経済へ影響すること」がリフレ政策の第二の成立要件なのです。
仮にインフレ予想が2%に高まった場合、人々は経済行動をどのように変えるのでしょうか。代表的なリフレ派の理屈を見てみましょう。需給ギャップを埋めるためには、民間の消費および投資(設備投資と住宅投資)が増えなくてはなりません。先ずは消費から。「将来のインフレを予想する人は、現在の消費を増やす」とリフレ派は論じます。モノの値段が上がる前に買ってしまおうと皆が思うはずだと言っているのです。一種の駆け込み需要です。確かに、消費税率の上がる前に駆け込み需要はありました。しかし、その後はどうでしょう。消費は落ち込みました。現在も低迷しています。これを反動減と考える学者やエコノミストが多いのですが、それだけではありません。物価が高くなったために、以前より需要が減少しているのです。需要法則に従っているのです。
インフレは一回限りの物価上昇ではなく、継続的な物価上昇を意味します。今後ずっとインフレが続くと予想する人は、リフレ派の理屈から言えば、買いだめのできる日用品はできるだけ現在購入するということです。しかし、来期以降はどうなるのでしょうか。日用品の需要は減少し、生鮮食料品をはじめとする他の商品も価格上昇のため需要が減少します。需要の低迷によって逆にデフレ圧力がかかってしまうのです。これを回避するにはインフレと同率かそれ以上の名目賃金(正確には名目賃金「率」ですが煩雑さを回避するため省略します。名目賃金を時給と考えてください。実質賃金も以下同様)の上昇が必要になります。
それではリフレ政策によって名目賃金はインフレ率以上に上昇するのでしょうか。リフレ派は、予想インフレ率が上昇した場合、将来の実質賃金が下落するため企業は雇用を増やすと論じています。ここは企業の利潤最大化行動の理論に基づいていますので新古典派のパートです。そのとき循環的失業者(一般にリフレ派は非自発的失業者とは言いません)がいれば、彼等が全員雇用されるまで名目賃金は上がらないが、失業率は改善すると言っています。すなわち完全雇用に至るまで実質賃金は下がったままなのです。さらにリフレ派は「完全雇用状態に達して尚、労働需要の超過があれば、初めて名目賃金は上がり始める」と続けるのです。
しかし、完全雇用状態において労働に対する超過需要が存在するという想定は新古典派ではあり得ません。なぜなら、新古典派の論理では労働の需給一致点で均衡実質賃金率が決定され、その際の雇用量が完全雇用水準となり、そこから離脱する誘因は内生的に存在しないからです。それゆえ、そうした想定はリフレ派独自のものでしょう。今度はケインズ的な労働市場の出番です。
さて、名目賃金が上がりだしたとして、上昇幅はインフレ率を超えるでしょうか。超えれば実質賃金が上昇しますので、2%インフレ下においても人々の暮らし向きは改善します。しかし、残念ながらそうはなりません。企業にとって名目賃金の上昇は予想インフレ率一定の下では実質賃金の上昇を意味します。それゆえ、その新たな予想実質賃金の下で最適化(利潤最大化)を図るためには以前より雇用量を減少させる必要があります。それが新たな最適雇用量となります。その最適雇用量が完全雇用以下である場合、名目賃金は上がりませんから実質賃金は永遠に上昇しません。
それでは最適雇用量が完全雇用以上である場合は、どうでしょうか。確かに、この場合、名目賃金は上昇するでしょう。しかし、同時にそれは実質賃金の上昇を意味しますから最適雇用量は減少しなければなりません。その新たな最適雇用量が依然として完全雇用以上である場合、名目賃金は上昇しますが再び実質賃金も上昇しますので、さらに最適雇用量は減少します。この過程が続くとどうなるのでしょう。結局、最適雇用量と完全雇用が一致することになります。その場合の名目賃金は、当初と比べて2%以上上昇しているでしょうか。残念ですが、このケースもそうはなりません。名目賃金は2%上昇するのが精一杯なのです。
リフレ派は、予想インフレ率が2%に高まることで実質賃金が下がり雇用が増えると考えています。しかし、生産技術を一定と仮定したとき、もしも名目賃金が2%上昇すると実質賃金はインフレ予想が高まる前の水準に戻ってしまいます。それは結局、雇用量が元の水準にまで減少することを意味します。リフレ政策をする前に戻るのです。元の水準が完全雇用以下であれば、リフレ政策をしてもしなくとも同じことになります。人々の暮らし向きも同じ水準です。もしも最適雇用量が完全雇用水準にとどまるとしたならば、実質賃金はリフレ政策発動前よりも低くなければなりません。すなわち名目賃金の上昇は2%以下でなければならないのです。
以上より明らかなように、「リフレ政策によって実質賃金は下落する」と結論づけられるのです。すなわちリフレ政策を実施すると人々の暮らし向きは悪化することになるのです。一言で言えば、リフレ政策は「雇用量と実質賃金のトレード・オフ関係(逆相関関係)」に立脚したものであり、リフレ派の理屈からは雇用増と実質賃金上昇という二兎を追うことはできません。リフレ政策単独では実質賃金を上げられないのです。そのため別の政策手段が必要になってくるのです。安倍政権下で実施されている政労使間の協議における賃上げ交渉であるとか、効果は甚だ疑問ですが、労働生産性を向上させるとするネオリベ派の成長戦略に頼らざるを得ないのです。ここでもリフレ派の二階建て構造が見て取れるのです。
コメント
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リフレ派だけではなく、財政政策好きの人達が見ているものも幻想だと思いますよ。
大規模な財政政策をずっとやれ、とでも言うのでない限り、公共事業などをしていた人達には再就職先が必要になります。
そしてその再就職先は、緩やかなインフレが続く様な社会でなくては存続が難しい。
では、大胆な財政政策をきっかけにして緩やかなインフレが続く社会になる保障は?
例えば、藤井聡さんによると、政府系の建設投資額と名目GDPには相関性があるそうです。
藤井さんが用意したグラフを見ると、確かに政府が投資を減らすとGDPも減っていた。
つまりは、財政政策好きの人が紹介するグラフにおいても政府がお金を使い、
それが呼び水となって「緩やかなインフレが続く様な社会になる」という事は起こっていないのです。
それなのに「金融政策では駄目だから財政政策を」という様な話がある。
やがて効果が切れそうだという点では同じだろうに。
kobuna さん
先進国の政府支出伸び率と名目GDP伸び率には強い正の相関があります。
http://d.hatena.ne.jp/shavetail1/20150627
一方、そこでは紹介しませんでしたが、リフレ政策を実行している日本におけるMBと名目GDPそれぞれの伸び率の間には相関性はほぼありません。 決定係数<0.1
これらから言えることは、名目GDPを伸ばすには中期的に、かなりの規模での財政政策を継続すべきということだと思います。
私はリフレ政策は経済に一定の効果をもつとは思いますが、それは主に為替を通じたものであり、現在のドル円120円台の水準を超えて、例えば360円を目指しても意味は無いし、上述の通り、名目GDPに効果はないのですから、それだけでデフレ脱却はほぼ無理(理由は青木先生が指摘されています)と思っています。
アベノミクスも、当初の第一の矢の他に第二の矢財政政策も積極的だったころにはデフレ脱却も射程に入ったか、と思ったものでしたが。
青木先生
>現実の企業経営者は、フィッシャーの方程式に基づいて算出される金融市場で決まる実質金利の動向によって実物投資を決定しているのではありません。筆者は長年経済研究に携わってきましたが、そうした経営者を見たことはありません
私もご指摘の通りだと思います。
経営者たちは勿論金利も考慮には入れますが、投資の適不適を判断するために事業価値をNPVで分析するなどの場合、NPVの値に影響をおよぼす多数の因子のうち、想定される因子の予想値の幅が最終的にNPVの振れ幅に与える影響が大きい因子数個に絞り、不確定要素を減らす努力をします。
この、投資判断に影響をおよぼす因子として金利が候補にあがることは金融関係企業は知らず、一般企業ではほぼないのではないでしょうか。 実質金利がゼロからマイナス1%に下がったところで、事業価値に与える影響は軽微です。
それよりも、結果としてデフレ脱却したとすると売上増等々を介してNPVは大きく上昇し、投資に適する事業数は大きく増えるでしょう。
先に実質金利低下があって、デフレ脱却というルートは現実の企業の投資を考えると非現実的なルートだと思います。