話題となっているトマ・ピケティ『21世紀の資本』の日本語版が、2014年12月8日に発売されました。アメリカでベストセラーになっていることもあり、既に多くの人が論じていますし、これからも多くの人が論じていくことでしょう。
本が分厚いです
本書はけっこう分厚く、さまざまなデータや統計を扱っているため敷居が高く感じられるかもしれません。実際に読んでみると、かなり分かりやすく、丁寧に実証的に論じられていると感じられます。
時間に余裕のない人や概略だけでも知りたい人は、「はじめに」と「おわりに」だけ読んでみても十分参考になるかと思います(できれば第15章と第16章も)。特に「おわりに」でピケティが述べていることの重要性が分かれば、本書のデータに基づいた長い議論の必要性も分かるはずです。
重要な論点
『21世紀の資本』における重要な論点は、各国で格差が拡大していることについて、資本収益率が経済の成長率を上回るという事実をデータに基づいて論じているところです。第一次世界大戦直前までは人類史のほとんどでそうであり、21世紀もそうなりそうだというのです。資本収益率が経済の成長率を上回ると、あらかじめ相続などで資本を持っている人の方が、懸命に労働している人よりもお金を増やしやすいということです。不公平な気がしますよね。
これが当てはまらない歴史的な条件下もあります。その要因として、公共政策や技術レベル、貯蓄と資産に対する態度などが挙げられています。特に平等性を実現するための力として、ピケティは知識と技能の普及を挙げています。富の分配には、政治的な要因が強く作用することも指摘されています。具体的な策としては、資本に対する世界的な累進課税などが提案されています。そして、そういった仕組みを実現することが難しいことも・・・。
経済学に対する考え方
本書で特に面白いのが、経済学に対するピケティの考え方です。
率直にいわせてもらうと、経済学という学問分野は、まだ数学だの、純粋理論的でしばしばきわめてイデオロギー偏向を伴った臆測だのに対するガキっぽい情熱を克服できておらず、そのために歴史研究や他の社会科学との共同作業が犠牲になっている。
日本語訳の影響もあるのかもしれませんが、かなり痛快な批判がなされているように感じられます。ピケティは「経済科学」という表現を嫌い、「政治経済学」という言い方が気に入っていると述べています。これは彼が述べているように、古風な言葉です。西洋初期の経済学者と見なされている人物は、政治経済学を論じていたからです。アダム・スミスは『国富論』で政治経済学(political economy)について論じていますし、フリードリッヒ・リストの著作は『政治経済学の国民的体系』(Das nationale System der politischen Oekonomie)です。
ですから、日本語の「経世済民」としての「経済」の訳語は、「political economy」になります。これは、『英和対訳袖珍辞書』(1862)において、「economy」が「家事スル、倹約スル」と訳され、「political economy」が「経済学」と訳されていることからも分かります。
私も「経済科学」という表現は嫌いで、「政治経済学」の方が好きです。もっと言うと、「経世済民」という言葉の方が格好良いと感じます。
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