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保守派の「無念」
でなければ、多くの良心的日本人の朝日に対する恨みは募るばかりとなる。私は大の大人(男性)が、涙を流しながらこう訴える場面に立ち会ったことがある。
「お願いです、朝日をやっつけてください。でなければ祖父は浮かばれない。祖父は一所懸命、お国のために戦ったんです。なのになぜ、嘘まで使って朝日にここまで貶められなければならないのか」
その「無念」に強く共感する。同じ「敗者」であるはずの日本人から、祖父の代の所業すべてを「悪事」として否定される耐え難さ……。
日韓双方に厳しい論調で知られる朴裕河氏(韓国・世宗大学教授)は、『和解のために』のなかで〈(日本の)右派の抱く「無念さ」〉に触れている。保守派・右派に決して肯定的でない朴氏にも感じ取れる「日本の右派の無念」を、朝日は汲むことはない。その冷酷さは、もはや「忌避」のレベルに達している。
朝日新聞は、ともすれば外国以上に日本人に対して反省を強いた。八月二十九日の社説がそれを物語る。A級戦犯を含む「昭和殉難者法務死追悼碑」の法要に安倍総理が哀悼の意を捧げたことに対し、朝日は感情剝き出しでこう書いている。
(日本は)国内的には、戦争責任を戦争指導者たるA級戦犯に負わせる形で戦後の歩みを始めた。
連合国による裁判を「報復」と位置づけ、戦犯として処刑された全員を「昭和殉難者」とする法要にメッセージを送る首相の行為は、国際社会との約束をないがしろにしようとしていると受け取られても仕方ない。いや、何よりも、戦争指導者を「殉難者」とすることは、日本人として受け入れがたい
こんなときだけ、朝日は「日本人として」などというのである。だが、朝日がどんなに糾弾してみせても、A級戦犯とて切り離せない「日本の一部」だ。特に、朝日にも責任の一端がある「戦争責任」を彼らに負わせたなら尚更のことだ。それを「慰霊すら許さない」とは。それとも、まだ〈戦争犯罪人の正当化及び擁護〉という検閲コードを引きずっているのか。
黒人奴隷の時代、同じ黒人でありながら白人から役目を与えられた黒人は、奴隷を蔑視し、ともすれば白人以上に厳しく黒人奴隷を管理した。朝日の振る舞いはその構図に似ている。つまり、同じ日本人でありながら敗戦国・日本を糾弾することで、「脱日本」を果たし、あたかも戦勝国(正義)の立場に近づけると錯覚したのではないか。
何と憐れな人間の心理だろうか。
朝日新聞には強い怒りを覚える。だが同時に、占領国や戦勝国体制に屈した敗戦国のメディアとしての悲哀、憐憫の情をも禁じ得ない。
「日本のため」の新聞へ
朝日新聞の噦改心器を求める。まず朝日が日本人、とりわけ保守の「無念」にも寄り添い、「たしかに日本は負けたけれど、敗者にもそれなりの言い分、矜持はある」「死者を悼むことまでも非難される謂われはない」という思考に一定の理解を持つべきだろう。
戦中の日本の行いに大いに反省するところはあれど、国(故郷)のために戦った人たちがいた。戦前と現在は繫がっている──その一点は日本人の心のなかで持ち続けなければならない。そして、朝日新聞(や朝日的価値を信奉した進歩的文化人)も「切り離して外側に置くことのできない」一部であり、そのなかで生かされていることを自覚すべきだ。
朝日新聞はなぜこれまで執拗に日本を批判せねばならなかったのか、その「動機の源」を見つめ直してほしい。そして「戦勝国の特高警察」の如き立場を脱し、日本のための新聞に生まれ変わるべきだ。
この記事は月刊WiLL 2014年11月号に掲載されています。他の記事も読むにはコチラ
コメント
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今まで読んだ朝日批判記事の中で最も的を得た内容で著者の慧眼に敬服する。特にGHQ通達リストを引き合いに出した朝日思想の説明は誰もが納得するしかない。梶井彩子の言論界での今後の活躍を大いに期待する。
全く同感です。
薄々感づいていた事を綺麗に解き明かして頂き感謝します。
尚、朝日は生まれ変わる必要もなく、廃刊こそ妥当だと思うところです。