国家における法と力

力なき正義、これは虚ろなり

 多くの日本人が勘違いしているようなのですが、領土問題というのは、別に争っている当事国がお互いに古文書を見せ合って、「ここに、かつて日本の領土だったとする記述があるので~」なんてやるわけではなく、基本的にはどちらが実効支配をしているかというパワーの問題、もっと言えば、どちらが軍事力と政治力を用いてその領土を支配下に置くのかという争いなのですね。

 つまり、いくら日本側が「尖閣は日本固有の領土である!!」と主張したり、国際法的な正当性を主張したところで、国際法を順守させるためのある種のパワーを日本が持たなければ、何の効力もないのですが、これは実は、近代社会学の創始者であるマックスウェーバーが『職業としての政治』の中で述べた主張とほとんど同様の意味を持っています。

 現代の国家を社会学的に定義しようとするならば、[その活動の内容ではなく]、すべての政治団体が所有しているある特殊な手段によるしかないのです。その特殊な手段とは、物理的な暴力なのです。かつてトロツキーはブレストリトスフクにおいて、「すべての国家は暴力を根拠としている」と喝破したのですが、これは名言です。もしも暴力を手段として利用することがまったく知られていない社会が形成されていたら、その場合にはこれは「国家」という概念で呼ぶことはできません。(中略)現在では、人間の共同体のうちで、ある特定の領域において(この領域という言葉に注意しておいてください)、正当な物理的暴力の行使を独占することを要求し、それに成功している唯一の共同体が国家だと言わざるをえないのです。

 なぜ国家が暴力を行使する正当性を持ちうるのかといえば、それは、言うまでもなく特定の領域における秩序、つまり法やルールを順守させるための手段としての正当性を持っているからでしょう。つまり、近代社会学が形成されたマックスウェーバーの時代から、法と暴力は密接不可分な存在であることがある種の常識として理解されていたのですね。

この状況を引き起こす、専門化の“根深い”弊害

 では、なぜ、そのような本来密接不可分の存在であるはずの法と暴力が(少なくとも多くの日本人の認識の上で)分離されてしまったのかといえば、それはやはり学問領域の専門家、細分化とも関係しているのではないでしょうか。つまり法律を学ぶ人間と、その法の執行を担保するための暴力(さらにその暴力すら物理学や工学や地政学、あるいはナショナリズム研究と無数に細分化されているのですが)について学ぶ人間とに分離され、それぞれの専門家が自分の専門以外の領域に関しては全く接触や知的関心を絶ってしまっていることにただならぬ大きな問題の一つがあるのです。

 そうは言っても、現在のように社会が複雑化し、専門家や、学問領域の細分化がすでに進行している現在においては、このような問題を解決することは極めて困難であるのですが、やはりこのような問題を多少なりとも改善するための一つの手段として、知識や学問領域の再編成ということが重要でしょう。つまり現在の様に、学問を体系化するためにその実消極的にでしょうが、便宜的に設定された学問領域の区分けを絶対視するのではなく、例えば、「自分は尖閣問題について研究したいんだ」というような問題意識を持った個人であれば、「でも、自分は国際法が専門であるから、尖閣問題について国際法的観点から考えよう、論じてみよう」と自分の学問領域の狭い専門分野に閉じこもるのではなく、尖閣問題について考えるうえで必要になるであろう、地政学の問題、軍事の問題、国際政治の問題、中国やアメリカの内政問題、日本国内の政治システム、その他諸々の問題をトータルに捉えつつ、自分の専門領域の思考の型を無理やり自分の直面する問題に強引に当てはめるのではなく、むしろ、逆に解決すべき現実の問題に合わせて自分の思考の型や知的関心を柔軟に変形させていく。また、別の例として経済学者を挙げるならば、日本の経済問題を解決しようと考える際に、特定の学問の教義を無理やり現在の日本に当てはめるのではなく、日本の文化や風土や伝統、それから日本人の慣習や精神性というものを学び、それらを考慮・熟考しながら理論の側を現在の日本の状況に合わせて柔軟に変化させ対応させていく。おそらくはそのような意識的な努力が必要になるのではないかと思います。

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西部邁

高木克俊

高木克俊会社員

投稿者プロフィール

1987年生。神奈川県出身。家業である流通会社で会社員をしながら、ブログ「超個人的美学2~このブログは「超個人的美学と題するブログ」ではありません」を運営し、政治・経済について、積極的な発信を行っている。

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コメント

    • アクエリアス
    • 2014年 9月 27日

    ニコ生止まりで燻っていたカツトシさんが本格的に言論活動をしているようで驚きました。私はニコ生時代からカツトシさんのファンですが、これからも見守らせてもらいます。これからも頑張って下さいね。

    • 野比怒羅江悶
    • 2014年 9月 28日

    戦後保守への批判が日に日に切れ味を増しているように思えます。次回も鋭い考察を期待しています。

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