ネオリベ経済学の正体

毒を吐き出せ!

 専門家でなくとも、誰にもわかっているのです。トリクルダウンが生じないことを。それでもトリクルダウン政策を実行したい人たちがいるのです。現在の第二次安倍内閣も同じです。小泉政権時代の新自由主義的政策を引き継ぎ、成長戦略という新名称の下、法人税減税やその他特定業界への利益誘導策を実行しようとしています。安倍総理の経済ブレーンの一人である浜田宏一内閣官房参与も、「アベノミクスはトリクルダウン政策といえる(2014年4月1日付「日本経済新聞」経済教室)」と明言しておりますから、その評価に間違いはないでしょう。
 直接利益を受ける財界人はともかくとして、経済学者、官僚、政治家、マスコミ人といった人たちがトリクルダウン政策を支持する理由は何でしょうか。有り体に言えば、それは格差の拡大によって利益を受ける階層の現メンバー、あるいは将来入る予定の人、もしくはその階層から継続的な利益を得られる人だからということになります。しかし、そうした世論を動かす、そして政治を動かす社会のいわばエリートたちが、なぜ俗情以外の何物でもない行動に駆り立てられるのでしょう。その分析は今後の重要な経済社会学的テーマですが、その原因を「エリートの劣化」にあるとする有力な仮説もあります。

(参考:『グローバリズムが世界を滅ぼす』エマニュエル・トッド、ハジュン・チャン、藤井聡、中野剛志、柴山桂太、堀茂樹、共著

いみじくも、J.スティグリッツが著書『世界の99%を貧困にする経済(2012徳間書店)』の中で指摘しているように、格差の拡大は99%の国民の犠牲の上に1%の富裕層をより富ませることにもなりかねません。トリクルダウン政策によって、社会の安定にとって最も重要な中間層が解体され、ほとんどの人が貧困化していくのです。これほど人知が蓄積された時代であるにも関わらず、まるで初期資本主義段階に突き進んでいるようなものです。
 実際のところ、トリクルダウン政策を推進している政治家、官僚、経済学者、マスコミ人等は、「1%グループ」の利益しか考えていません。そう断言しても良い状況ではないでしょうか。彼等は社会横断面的な「仲良しグループ」を形成し、大多数の国民の不利益を顧みない政策を実行しつつあるのです。そのために、ありとあらゆる詭弁を弄して、世論を操作しようとしています。権謀術策を用いているのです。さらに、その仲良しグループに入ろうと必死になっている者たちが、政治家や評論家を問わず、「1%予備軍」としてその推進運動に加わってゆくのです。「1%」を目指し権力にすり寄ってゆくのです。彼等は理念や主義によって行動しているのではなく、世俗的欲望に駆られて行動しているだけなのです。

主流派経済学も一枚岩ではなくなった

 いまや主流派経済学という一つの括りでは、現代経済学の状況を適切に認識することが出来なくなりました。特に政策面に関してそうです。主流派経済学とネオリベ主流派を分けて考えることが適切です。同様に主流派学者がどちらの立場にいるかを判別することも重要です。
主流派経済学の教義は、市場原理の下で資源の最適配分が達成されることです。これは非現実的かもしれませんが、純粋な論理として成立する命題です。それゆえ主流派経済学者が競争原理を主張することは、学問的には正しい。ただし、主流派学者の中には財政均衡主義を唱えている人も多いのですが、これは完全なる誤りです財政均衡が柔軟な財政運営に比べて優れていることは論証されておりませんし、今後もそれは不可能です。なぜなら、財政均衡は新古典派モデルの予算制約式に過ぎないからです。単なる前提条件。しかし、この制約がないと均衡モデルが閉じられないので、主流派学者は財政均衡を唱えているのでしょう。土台が崩れると、後の論証が不可能になるからです。

主流派経済学が純粋な学問的構築物であるのに対し、ネオリベ主流派は論理とイデオロギーの合体形ですから始末が悪い。「存在(sein)」と「当為(sollen)」が混合しているからです。パレート最適という学問的命題に、完全なる経済的自由の達成というイデオロギーが結合されました。それゆえ、ネオリベ主流派に基づく政策は、経済対策と同時に自由獲得のための社会運動と化してしまったのです。
特に問題なのは規制緩和論です。言うまでもなく規制には適切なものもあれば、不適切なものもあるでしょう。それを個別的に見極めることが重要なのです。しかし、ネオリベ主流派からすれば、全ての規制緩和が是とされる。公的権力からの解放が至上の目的だからです。それによって民間の自由が拡大するからです。この考え方は、乱暴を通り越して危険極まりない見解です。これは正に「自由絶対主義」もしくは「自由全体主義」に他なりません。ネオリベ主流派に基づく小さな政府論は、社会と個人の靭帯を切断し、公共の役割を貶めるものです。それは論理ではなく、「効率」の皮を被った単なるイデオロギーに過ぎないことを認識する必要があると思います。

俗情経済学の誕生と脅威

 主流派とネオリベ主流派の共通項は供給側の経済学ということですが、その経済観を前提とする利益誘導型の経済政策がレーガノミクスで誕生しました。トリクルダウン仮説に基づくそれです。また利益誘導を図るために政府に働きかけ、制度変更を迫る行為をレント・シーキング(rent seeking)と言いますが、それもトリクルダウン仮説の目指す方向と合致します。すなわち、「他者を犠牲にして自分だけ利益を得ればよい」という考え方です。外見上如何なる装飾を施そうとも、本質はそれです。そうした見解は、経済論理に値しないにも関わらず、現実の経済政策の立案に際してかなりの影響力を持ってきました。政府の「産業競争力会議」や「経済財政諮問会議」における民間議員や御用学者の主張は正にそれでしょう。
 したがいまして、そうしたサプライサイド・エコノミックスの論理を濫用し利益誘導を図る経済的見解も、経済論理の範疇のひとつとして分類した方がよさそうです。現実に存在し、そしてそれが社会に害毒を撒き散らす、他ならぬ本体であるからです。経済学にとっての最悪の敵です。適切な名称は浮かびませんが、仮に「俗情経済学」もしくは「1%のための経済学」とでもしておきましょう。
 今や現代の主流派経済学も三分類しなければならなくなりました。新古典派の論理を継承し、現代的な装いを施した「主流派経済学」。主流派の論理に新自由主義思想を連結させた「ネオリベ主流派(経済学)」。さらに両者に利益誘導型政策を結合させた「俗情経済学」です。マスコミを賑わす経済学者、エコノミスト、評論家、マスコミ人達は、何れの立場から発言しているのでしょうか。また、政治家は誰の意見を聞いて政策立案をしているのでしょうか。そうした判断材料として、三分類は必要ではないでしょうか。

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西部邁

青木 泰樹

青木 泰樹

投稿者プロフィール

1956年 神奈川県生まれ
1980年 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業
1986年 同大学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学
1987年 帝京大学専任講師
1996年 同大学助教授
2007年 帝京大学短期大学教授
現在  東海大学非常勤講師 京都大学レジリエンス実践ユニット特任教授 会社役員
専門  経済変動論、シュンペーター研究、現代日本経済論

主著 
経済学とはなんだろうか-現実との対話-』(八千代出版、2012年)
シュンペーター理論の展開構造』(御茶の水書房、1987年)
経済学者はなぜ嘘をつくのか』(アスペクト社 2016年)他

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コメント

    • smb
    • 2014年 9月 04日

    中学校で最初に物理を習ったとき、「空気抵抗はない」「ひもは伸び縮みしない」というものだった、主流派物理学はそんな非現実的なことを考えているのだ、と言っているのと同じくらい愚かしい論説。

    もっとも、イメージ戦略に頼るタイトルの付け方からして、中立的な立場の人を説得するための論説ではないようだが。

      • でうい
      • 2014年 9月 10日

      学問をする上で問題を抽象化することは当然必要なことです。
      >「空気抵抗はない」「ひもは伸び縮みしない」

      しかし、たとえば「現実」でロケットを飛ばすときなどに
      それらの抽象化した「空気抵抗」を考慮に入れなおさなければどうなるでしょうか?
      間違いなく墜落します。
      なぜなら空気抵抗はあるからです。

      このように主流派経済学者たちの「ロケット」が落ち続けていることが問題であり、それは改められるべきでしょう
      現実問題の解決の際に現実を考慮に入れなければならない、というのは当然のことだと思いますが
      いかがでしょうか。

    • ibata
    • 2014年 9月 05日

    はじめまして
    おもしろい論説ありがとうございます。
    このような経済学批判は、経済学の発展のためにも非常に重要な意味があると存じます。
    ただ、いくつか疑問に思うところもございましたので
    コメントを残させていただきます。

    >彼等の経済観に「不況」という概念がないからです。
    >主流派を支配する「新しい古典派」の段階ではもはや経済過程は常に長期均衡の軌道上にあると考えられているのです(実物的景気循環論)

    実物的景気循環理論(RBC)ですら、不況はあると思います。
    また、効用関数が凹型の性質から、景気循環によって景気循環がないときよりも社会厚生が下がると思いますし、
    ジョブサーチモデルを組み合わせる事でミクロ的基礎を持った失業を含んだRBCの変化形(一般的なRBCとは異なりますが、マネーが入っていない意味でRBCの変化形と呼んでいます)もございますので、
    先生の文章は言いすぎではないかと存じます。

    >DSGEは構造パラメーターの変化を前提としているという理論的性格上、将来予測のできないモデルです。予測期間中に構造パラメーターが変わってしまうとするならば、期首に政策変数を変化させた時の事後的効果を推定することができなくなってしまうからです。

    DSGEも、構造パラメータを不変とすると言いますか、不変なものをDSGEでいうところの構造パラメータ(もしくはディープ・パラメータ)といいますので、上記の文章はミスリーディングかと思います。
    先生の文章でお書きになられたかったことは、「マクロ構造モデルにはミクロ的基礎がなく、そこでの構造パラメータは、DSGEの枠組みにおいては構造パラメータではない」ということかと存じます。
    また、DSGEモデルでも、財政政策ショックや金融政策ショックに対してインパルス応答を出す事で期首に政策変数を変化させた時の事後的効果を推定することができます。

    最後にここは議論できれば幸いですが、DSDEが将来予測できないとはどういう意味でしょうか?
    モデルにおけるショック項(あるいはざっくり誤差項)は、確率変数なので、将来予測できないというでしょうか?
    その場合は、マクロ構造モデルにも、時系列分析にもショック項(あるいは誤差項)が入っているので、共に将来予測ができないという相打ち狙いの議論になるかもしれませんので、不毛な議論かもしれません。

    以上宜しくお願いいたします。

    • せい
    • 2014年 9月 30日

    そうか、公共事業を叩いている人達は、公権力からの自由をもとめた社会運動だったのか。
    サヨクと同じですね。
    2chにいるそういう奴らも、引退した団塊が増えてるのかな。

  1. 2014年 9月 25日

  1. 2014-12-24

    『永遠のゼロ』を私はこう見る

     当サイトに、藤井聡氏のエッセイ「永遠にゼロ?」(2014年9月9日 三橋経済新聞掲載)に対する木下…

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