ネオリベ経済学の正体

最新の理論は役に立たない

 主流派学者の唱える原理原則は、1930年代の大恐慌時に新古典派学者たちが唱えていた新古典派の教義から一歩も進んでおりません。主流派の最新理論と言われている「動学的一般均衡(DSGE)」モデルから得られた含意で、現実のマクロ経済政策に反映されたものなど何もないのです。DSGEモデルは、構造パラメーターの変化を前提としているという理論的性格上、将来予測のできないモデルです。予測期間中に構造パラメーターが変わってしまうとするならば、期首に政策変数を変化させた時の事後的効果を推定することができなくなってしまうからです。それゆえ現実に適用可能なマクロ経済モデルとしては使えません。
 それでは主流派経済学に依拠しているエコノミストは何によって経済予測をしているのでしょうか。実は、「マクロ構造モデル」を使っているのです(また理論なき計測と言われている「時系列モデル」も併用しています)。民間の経済研究所が発表する経済予測もその種のモデルに基づいているのです。マクロ構造モデルとは、ケインズのマクロ分析に立脚して構築された計量モデルです。いわゆるミクロ的基礎づけのないケインズモデルの拡張版なのです。
しかし、マクロ構造モデルは構造パラメーターを一定と仮定しているため、合理的ミクロ主体の行動と整合的でないと厳しく批判されました(ルーカス批判)。実際のところ、ルーカス批判が「新しい古典派」誕生の契機となったのです。それゆえ、本来、主流派学者は「経済学の最先端研究では経済予測はしない、できない。現実のことはわからない」と明言すべきなのです。そうしない主流派学者は不正直との誹りを免れないでしょう。主流派経済学者で構造モデルを使っていることは自己矛盾以外の何ものでもありません。もちろん、時系列モデルを使うことも同様です。時系列モデルに理屈はありませんから、当然、ミクロ的基礎づけも不可能なのです。

経済学の最悪の進化形:ネオリベとの合体

ケインズ経済学から新古典派経済学への主流派の交替劇が行なわれたのと軌を一にして、米国ではレーガン政権が誕生しました(1981~1989)。彼の政策が有名な「レーガノミクス」であり、その政策の論拠となったのが「供給側の経済学(サプライサイド・エコノミックス)」です。それは正しく現代の主流派経済学の姿と同じに見えます。しかし、実は若干中身が違います。それには毒が仕込まれていたのです。その毒が、三十年の時を越えて現在の日本経済を蝕む元凶なのです。
前述の如く、主流派経済学に政策論はありません。資源の最適配分という理想状態が自動的に実現するからです。経済効率が市場における競争を通じて達成されるという理屈です。この論理構造には、社会関係から発する価値観の入り込む隙はありません。ところが、そこにイデオロギー(究極的価値判断)を持ち込んだ学者がいました。それがミルトン・フリードマン(1912~2006)です。彼は自由に最大の価値を置く新自由主義思想(ネオリベラリズム)と新古典派の経済原理を結合させることを試み、独自の経済観を形成したのです(ただしフリードマンの新自由主義は、慣習法の範囲内での自由を唱えたハイエクのそれとは異なるものですが、ここではそれに論及しません)。

結合のプロセスは二段階あります。先ず、フリードマンは自由を「政治的自由」と「経済的自由」に分け、政治的自由を獲得することは不可能であると考えました。民主主義制度の下であっても政治的決定が多数決原理で行われる限り、少数派の自由は常に侵されるからです。すなわち政治的権力の出現は不可避ということになります。もしも経済的自由も侵され、経済的権力が出現するとどうなるか。それが政治的権力と結託するなら強大な権力が出現することになります。自由の最大の敵は権力です。なぜなら権力は常に強制力を伴うからです。それゆえ、次の段階として経済的自由を如何に確保するかをフリードマンは考えたのです。
誰からも強制されずに好きなものを好きなだけ買える状況は、正に経済的自由が実現している状態だと彼は考えました。そうした自由な経済的意思決定のできる場はどこか。それが市場メカニズムの十全に機能する新古典派の完全競争市場だったのです。さらにその状態は「パレート最適(効率性)」も達成されております。フリードマンの着想は、新古典派の一般均衡状態を「経済的自由が達成された状態」と再解釈することだったのです。
この解釈によって、「経済効率の達成」と「経済的自由の獲得」は同義となりました。すなわち効率を追求するための競争は、同時に自由の範囲を拡げる運動と見なされるのです。自由を妨げている最大の障害(権力)は何か。公的権力に他なりません。そこから「公的権力の縮小を。小さな政府への道は自由への道なのだ」という経済観がフリードマンによってもたらされたのです。いわゆる「市場原理主義」、もしくは「効率至上主義」という経済イデオロギーの誕生です。

ただし主流派経済学とネオリベラリズムの結合は、あくまでも理論上、ないし思想上の問題にすぎません。ここまでは実体経済にとって実害はないのです。所詮、学者の世界の中、コップの中の嵐にすぎません。しかし、経済政策は理屈を離れては成り立ちません。その理屈を提供しているのが経済学説です。ネオリベラリズムと結合した主流派経済学(「ネオリベ主流派」と呼称しておきます)を土台にした経済政策は如何なるものになったのでしょうか。それがレーガノミクスだったのです。
レーガン政権下のサプライサイド・エコノミックスは、ネオリベ主流派の政策論を代表しております。主流派経済学に政策論はありませんが、ネオリベ主流派にはあります。公的権力を最小化するための諸々の政策手段です。それは自助努力、自己責任の名の下での社会保障費の削減をはじめ公的サービスの縮小策に他なりません。すなわち公営事業の縮小、民間委託、民営化。さらに財政出動の削減、廃止等々です。但し軍事費は夜警国家論にもあるように「政府の為すべき範囲(アジェンダ)」内なので主流派においても拡大可能と解釈されます。

滴り落ちる毒

 ただ上記のような本来のネオリベ主流派の政策手段に加えて、「トリクルダウン(滴り落ち)仮説」に基づく政策も付け加えられました。具体的には、レーガノミクスにおける富裕層に対する大幅減税策がこれにあたります。実は、トリクルダウン政策こそレーガノミクスに仕込まれた毒であり、その毒はレーガン政権以降も供給側の経済学とセットで世界中に撒き散らされました。
 トリクルダウン仮説の内容は、「社会の富を富裕層に優先的に配分することによって、社会全体も豊かになる」というもので、昨今の言葉を使えば、成長戦略の一種です。金持ちを豊かにすれば、いずれその恩恵は一般庶民へも滴り落ちるという話です。その仮説は、セー法則を前提とする供給側の経済学(主流派経済学)における成長要因を考えれば容易に理解できます。「つくったものが全て売れる経済」では供給側が経済規模を決定しますから、経済成長もまた資本蓄積、人口増加、技術進歩によって決まります。トリクルダウン仮説は、その中の資本蓄積に関する仮説です。
 富者と一般人の違いは貯蓄額に現れます。富者は多く貯蓄し、一般人はあまり貯蓄できない。貯蓄率に差があるのです。それゆえ資本蓄積を加速させるには、富者へ所得を移転すればよいことになる。経済が成長すれば、いずれ一般人へも富が配分されるであろうという理屈がトリクルダウン仮説の概要です。
しかし、この仮説が成立するためには、富者の貯蓄が全て実物投資されることが必要です。新古典派理論ではそれが保証されています(貯蓄先行説)が、現実には不可能でしょう。金融投資へ回ったり、現金のまま死蔵されることもあるからです。金融投資の増加により多少金利の低下があったとしても、実物投資が金利に反応しない不況期にはたいした効果は期待できません。ゼロ金利下では尚更でしょう。統計的に見ても、トリクルダウン仮説は実証されていないのです。
トリクルダウン仮説は格差社会の容認につながる見解ですが、現実の経済効果は全く逆なのです。富者の貯蓄率の高さは、消費性向の低さを意味します。一般人は逆です。現在問題になっているのは世界的な需要不足です。その原因の一端は格差社会の進行によって、すなわち富裕層への富の集中によって、消費需要が減少しているからです。それを埋め合わせる筈の実物投資の増加は生じていないのです。日本でも問題とされているように、過去の法人税減税によっても設備投資は盛り上がらず、企業は内部留保を蓄積しただけでした。トリクルダウンは起きなかった。格差社会の進行は、弊害のみをもたらし、経済成長率を上昇させることはできなかったのです。

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西部邁

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コメント

    • smb
    • 2014年 9月 04日

    中学校で最初に物理を習ったとき、「空気抵抗はない」「ひもは伸び縮みしない」というものだった、主流派物理学はそんな非現実的なことを考えているのだ、と言っているのと同じくらい愚かしい論説。

    もっとも、イメージ戦略に頼るタイトルの付け方からして、中立的な立場の人を説得するための論説ではないようだが。

      • でうい
      • 2014年 9月 10日

      学問をする上で問題を抽象化することは当然必要なことです。
      >「空気抵抗はない」「ひもは伸び縮みしない」

      しかし、たとえば「現実」でロケットを飛ばすときなどに
      それらの抽象化した「空気抵抗」を考慮に入れなおさなければどうなるでしょうか?
      間違いなく墜落します。
      なぜなら空気抵抗はあるからです。

      このように主流派経済学者たちの「ロケット」が落ち続けていることが問題であり、それは改められるべきでしょう
      現実問題の解決の際に現実を考慮に入れなければならない、というのは当然のことだと思いますが
      いかがでしょうか。

    • ibata
    • 2014年 9月 05日

    はじめまして
    おもしろい論説ありがとうございます。
    このような経済学批判は、経済学の発展のためにも非常に重要な意味があると存じます。
    ただ、いくつか疑問に思うところもございましたので
    コメントを残させていただきます。

    >彼等の経済観に「不況」という概念がないからです。
    >主流派を支配する「新しい古典派」の段階ではもはや経済過程は常に長期均衡の軌道上にあると考えられているのです(実物的景気循環論)

    実物的景気循環理論(RBC)ですら、不況はあると思います。
    また、効用関数が凹型の性質から、景気循環によって景気循環がないときよりも社会厚生が下がると思いますし、
    ジョブサーチモデルを組み合わせる事でミクロ的基礎を持った失業を含んだRBCの変化形(一般的なRBCとは異なりますが、マネーが入っていない意味でRBCの変化形と呼んでいます)もございますので、
    先生の文章は言いすぎではないかと存じます。

    >DSGEは構造パラメーターの変化を前提としているという理論的性格上、将来予測のできないモデルです。予測期間中に構造パラメーターが変わってしまうとするならば、期首に政策変数を変化させた時の事後的効果を推定することができなくなってしまうからです。

    DSGEも、構造パラメータを不変とすると言いますか、不変なものをDSGEでいうところの構造パラメータ(もしくはディープ・パラメータ)といいますので、上記の文章はミスリーディングかと思います。
    先生の文章でお書きになられたかったことは、「マクロ構造モデルにはミクロ的基礎がなく、そこでの構造パラメータは、DSGEの枠組みにおいては構造パラメータではない」ということかと存じます。
    また、DSGEモデルでも、財政政策ショックや金融政策ショックに対してインパルス応答を出す事で期首に政策変数を変化させた時の事後的効果を推定することができます。

    最後にここは議論できれば幸いですが、DSDEが将来予測できないとはどういう意味でしょうか?
    モデルにおけるショック項(あるいはざっくり誤差項)は、確率変数なので、将来予測できないというでしょうか?
    その場合は、マクロ構造モデルにも、時系列分析にもショック項(あるいは誤差項)が入っているので、共に将来予測ができないという相打ち狙いの議論になるかもしれませんので、不毛な議論かもしれません。

    以上宜しくお願いいたします。

    • せい
    • 2014年 9月 30日

    そうか、公共事業を叩いている人達は、公権力からの自由をもとめた社会運動だったのか。
    サヨクと同じですね。
    2chにいるそういう奴らも、引退した団塊が増えてるのかな。

  1. 2014年 9月 25日

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