ネオリベ経済学の正体

使命を忘れた俗情ペンギン

 しかし、主流派経済学者は違うのです。この眼鏡を外せない、もしくは他の眼鏡に替えられない理由があるのです。それは周りの経済学者が皆これと同じ眼鏡を掛けていることなのです。動物の世界と同様に、学者の世界もまた同じ格好をしていれば攻撃されることもなく、仲間外れにされることもないのです。すなわち、この眼鏡は一種の踏絵なのです。それを掛けることによって主流派経済学者「村(ムラ)」の居住権を得られ、社会的地位が保証されるのです。ペンギンのように群れていれば、とりあえず外部からの攻撃を回避できると考えているのでしょう。
 さらにこの眼鏡を掛けて主流派の見解を唱えている限り、「自分は決して間違うことはない」という安心感も得られます。これはかなり重要で、「学者として間違ったことを言わない」ことこそ、数多の経済学者にとって最も神経を使うところなのです。新古典派の教義から逸脱しない限り、「市場システムの下で諸前提を充たせば」という制約はあるにせよ、誰でも学問的真理を語ることが出来るのです。
 所詮、一般人は結論だけを求めがちで、その結論に至る前提条件の現実妥当性に関して論及することはありませんから、言いたい放題言えるのです。先人たちが既に確立した論理なので、自分が考える必要もなく、条件反射的に「競争の必要性、自由貿易の利益、政府介入の排除、財政均衡の重要性」等をお題目のように唱えていれば、学者として安泰なのです。近年、こうした学者が大半を占めるようになりました。マスコミを賑わす経済学者から、通念を超えた斬新な経済観を聞くことなど決してありません。間違うことが怖くて言い出せないのです。サークル(市場システム)から外へ出られない。

 下手に教義に背くことでも言えば、ミクロ的基礎づけを持たないアド・ホック(ad-hoc)な論理として排斥されることになり、主流派村から追放されてしまいます。ここでアド・ホックな論理とは「特殊な論理」という意味で、主流派が「一般妥当性のない論理」に対して通常付す蔑称です。この括りで言えば、さしずめ経済社会学の研究分野は全てアド・ホックなそれに分類されてしまいます。私としては大変困ったことですが、経済社会学の立場からすれば、逆にアド・ホックな論理こそ現実分析として意義があると考えられるのです。
『ゆたかな社会(1958)』『不確実性の時代(1977)』などの著作で知られるJ.K.ガルブレイスもまた、彼が社会学的および歴史学的手法を用いているという理由で、多くの主流派経済学者達から排斥されてきました。信じ難いことに、これほどの経済関係の業績がありながら、彼は主流派から経済学者と見なされていないのです。
 このように経済学の分析対象を狭小な部分に押し込め、さらに数学的分析手法のみを容認するという視野狭窄に主流派学者は陥っています。リーマン・ショック前までの約三十年間、その論理的厳密性の追求という学術的潮流に経済学界は飲み込まれてしまいました。日本においても権威ある著名な経済学者は皆この流れに乗り、競ってケインズ眼鏡を外し主流派眼鏡に掛け替えました。そして他の多くの経済学者も追随しました。彼等は臆病な猫のような性格なので、権威に寄り添うことはできても、権威に抗う術を知りません。否、抗う意思さえ持っていなかったというのが本当のところでしょう。

 こうした事情を勘案すると、主流派眼鏡が経済学者にとって良いことずくめであることがお分かり頂けると思います。自らの社会的地位の保全を第一義的に考えれば、この眼鏡を外す誘因は存在しません。しかし、「経済学者も人間であるから世俗にまみれても致し方ない」と開き直られても、それで事は済みません。経済学者には社会的使命があるからです。使命を果たすことを忘れてはならない。
 人々が経済学者に期待することは何でしょうか。言うまでもなく、現実経済の分析です。さらに、それに基づき今後の経済運営の指針を国民に示すことです。経済学者であるならば、その責任を果たさなければなりません。それが経済学者の存在理由だからです。現実経済の動向を数学者や物理学者に訊く人はいません。当然、経済学者に訊くのです。彼等にはそれに答える義務がある。しかし、手元には現実社会が映らない主流派眼鏡しか持っていない。さて、どうするのでしょう。

プラグマティズムに背を向けた経済学者

一般の人達が経済学に求めるものは有用性、実用性、実践性であると思われます。それが何の役に立つのか、どのように役に立つのか、現実に適用できるのかに関心が集まるのは自然なことです。「何らかの目的の達成に役立つか否か」を判断基準として物事の意味もしくは是非を考えようとする思想は、実用主義もしくは道具主義と呼ばれています。いわゆるプラグマティズムです。

(参考:藤井聡『プラグマティズムの作法』

 主流派経済学は、このプラグマティズムと全く逆方向を指向する学説ですから現実説明力は限りなくゼロに近いのです。しかし、主流派学者も現実問題に答えざるを得ません。その際、彼等の取っている方法は、新古典派理論に基づく原理原則を闇雲に現実問題に対する解答とすることです。これを主流派学者による「原理原則主義」としておきましょう。
言うまでもなく、現実に生起する経済問題は各々背景の異なる一個の歴史的個体です。それぞれの時代状況や外的環境は様々です。しかし、そうした相違を無視して、彼等は同じ処方箋を書くのです。すなわち、如何なる問題に直面しても「競争原理」と「財政均衡主義」を説くのです。いつも、いつも同じことを言い続けるのです。腹痛であっても、頭痛であっても、骨折であっても同じ薬を飲めと言い続けるのです。
「失われた十数年」のデフレ不況期も、財政再建のために公共事業を圧縮すべし、規制緩和で市場原理を取り入れるべしと唱え、日本経済を奈落の淵にまで追いやりました。また2011年の大震災に際しても、復旧・復興予算は国債ではなく増税で賄うべし、被災した市町村をできるだけ集中させ効率的な都市機能を再構築すべしと唱えていたのです。伝統、文化の継承や地域コミュニティーの重要性など歯牙にもかけない。今後の日本の将来像をどうするかなど一切考えずに、同じ経済原理をオウム返しのように唱え続けるのです。結局、プラグマティズムに背を向けた主流派経済学者にはそれしかできないのです。

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西部邁

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コメント

    • smb
    • 2014年 9月 04日

    中学校で最初に物理を習ったとき、「空気抵抗はない」「ひもは伸び縮みしない」というものだった、主流派物理学はそんな非現実的なことを考えているのだ、と言っているのと同じくらい愚かしい論説。

    もっとも、イメージ戦略に頼るタイトルの付け方からして、中立的な立場の人を説得するための論説ではないようだが。

      • でうい
      • 2014年 9月 10日

      学問をする上で問題を抽象化することは当然必要なことです。
      >「空気抵抗はない」「ひもは伸び縮みしない」

      しかし、たとえば「現実」でロケットを飛ばすときなどに
      それらの抽象化した「空気抵抗」を考慮に入れなおさなければどうなるでしょうか?
      間違いなく墜落します。
      なぜなら空気抵抗はあるからです。

      このように主流派経済学者たちの「ロケット」が落ち続けていることが問題であり、それは改められるべきでしょう
      現実問題の解決の際に現実を考慮に入れなければならない、というのは当然のことだと思いますが
      いかがでしょうか。

    • ibata
    • 2014年 9月 05日

    はじめまして
    おもしろい論説ありがとうございます。
    このような経済学批判は、経済学の発展のためにも非常に重要な意味があると存じます。
    ただ、いくつか疑問に思うところもございましたので
    コメントを残させていただきます。

    >彼等の経済観に「不況」という概念がないからです。
    >主流派を支配する「新しい古典派」の段階ではもはや経済過程は常に長期均衡の軌道上にあると考えられているのです(実物的景気循環論)

    実物的景気循環理論(RBC)ですら、不況はあると思います。
    また、効用関数が凹型の性質から、景気循環によって景気循環がないときよりも社会厚生が下がると思いますし、
    ジョブサーチモデルを組み合わせる事でミクロ的基礎を持った失業を含んだRBCの変化形(一般的なRBCとは異なりますが、マネーが入っていない意味でRBCの変化形と呼んでいます)もございますので、
    先生の文章は言いすぎではないかと存じます。

    >DSGEは構造パラメーターの変化を前提としているという理論的性格上、将来予測のできないモデルです。予測期間中に構造パラメーターが変わってしまうとするならば、期首に政策変数を変化させた時の事後的効果を推定することができなくなってしまうからです。

    DSGEも、構造パラメータを不変とすると言いますか、不変なものをDSGEでいうところの構造パラメータ(もしくはディープ・パラメータ)といいますので、上記の文章はミスリーディングかと思います。
    先生の文章でお書きになられたかったことは、「マクロ構造モデルにはミクロ的基礎がなく、そこでの構造パラメータは、DSGEの枠組みにおいては構造パラメータではない」ということかと存じます。
    また、DSGEモデルでも、財政政策ショックや金融政策ショックに対してインパルス応答を出す事で期首に政策変数を変化させた時の事後的効果を推定することができます。

    最後にここは議論できれば幸いですが、DSDEが将来予測できないとはどういう意味でしょうか?
    モデルにおけるショック項(あるいはざっくり誤差項)は、確率変数なので、将来予測できないというでしょうか?
    その場合は、マクロ構造モデルにも、時系列分析にもショック項(あるいは誤差項)が入っているので、共に将来予測ができないという相打ち狙いの議論になるかもしれませんので、不毛な議論かもしれません。

    以上宜しくお願いいたします。

    • せい
    • 2014年 9月 30日

    そうか、公共事業を叩いている人達は、公権力からの自由をもとめた社会運動だったのか。
    サヨクと同じですね。
    2chにいるそういう奴らも、引退した団塊が増えてるのかな。

  1. 2014年 9月 25日

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