公共事業のありがたみをなぜ日本人はわからないのか
- 2014/3/12
- 社会
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「当たり前」ではないインフラの存在
「発展途上国」のフィリピンから来日した私のような者は、日本の色々なことに驚くのです。まず、空港が綺麗で近代的だということに驚きます。そして、空港から宿泊するところに行くとき、道路が綺麗に舗装されていて、しかも眩しいぐらい街灯が立っていることに気づきます。
私が生まれ育ったフィリピンの首都マニラから少し郊外へ行くと、舗装されていない道路を通ったりします。私が子供のころ、そういう「ダートロード」(未舗装の道路)を通ると埃が立ち「戦場みたい!」と妄想することを楽しんでいました。車を運転している父親にとっては全然楽しくなかったようですが。
マニラの道路でさえ、凸凹なところが多かったという記憶が残っています。車を乗っていたら「ドン!」と、車輪が道路のくぼみに落ちてしまうことがあったりしました。また、車の排気ガス規制が甘かったからか、黒い煙を排出する車が多かったのです。日本では、フィリピンのように黒煙を上げる車はなく、すべての車がまるで「新車」のようでした。日本の車検制度が厳しいと言われるのですが、フィリピンのような国に行けば、その意義が分かると思います。
日本では電気がいつも付くことにも驚きました。フィリピンでは、毎日のように停電していたという記憶があります。大好きなテレビ番組を見ている最中、いきなり停電したりしていました。しかも、市民がそういう状況に慣れていたという感じで、灯油ランプや蝋燭などを必ず手元に置いてありました。私は日本に来てから停電を経験した覚えがありません。東日本大震災のときでさえ、「計画停電」が予告されたものの、私が住んでいる地域では停電が実施されませんでした。
水道に関しても同じことが言えます。マニラでさえ、水道が出ない地域がありました。あるいは、時間帯によって水道が出たり出なかったりします。私の実家では、お風呂場にバケツをいくつか置いて、水道が出る時間帯にお水を溜めておいて、必要なときに使っていたのです。しかし、日本に来たら水道が勢いよく出るのです!日本人にとって当たり前なことかも知れませんが、私にとっては本当に不思議なことでした。
しかも、東京のような大都会だけではなく、日本列島どこへ行っても道路が舗装され、水道が豊かに流れ出るのです。私は日本の田舎にも住んだことがありますが、東京と同じぐらい、町のインフラが整備されていて、快適な暮らしができるわけです。また、図書館やスポーツ施設などの文化施設も、充実しています。先進国の日本は、道路や電気や水道などの基本的な社会インフラも健康保険や年金などのような社会保障制度も整備されています。外国人の私も、日本は安心して暮らせる国だという気持ちになるのです。
フィリピンが発展途上の状態を脱却するには、基本的な社会インフラを整備する必要があります。道路や電気や水道が整備されていないと、それ自体が経済の活性化や発展の妨げになるわけです。当たり前なことを言っていますが、当たり前なことができていないというのは、発展途上国の悲しい現実です。フィリピンが社会インフラなどに使っている国家予算は、GDP比でいうと他の東南アジアの国に比べても低い方です。フィリピン政府や国民が、国のインフラ整備を最優先課題にしなければならないことは、いうまでもありません。
願っているだけで日常は存続し得ない
さて、日本のインフラの素晴らしさについて述べてきましたが、日本の道路や橋などの多くは、50、60年代の高度成長期に作られたのであって、現在はかなり老朽化しています。つまり、日本のインフラの多くが更新時期を迎えているのです。しかも、東日本大震災を通して、耐震化や二重化などの防災対策の必要性が明らかになりました。それにも関わらず、日本の政治家や官僚がインフラの整備に十分な国家予算を割り当てることを躊躇しているように見えるのは、私だけではないと思います。
日本のマスコミも、インフラ整備の必要性を訴えるどころか、公共事業に対する悪い印象を国民に与えています。また、インフラ整備を担う建設産業などが「衰退産業」かのような印象も与えたりします。公共事業に「無駄」もあるでしょうが、それより大切なのは、老朽化したインフラの整備や耐震化などの防災対策でしょう。国民も、日本での快適な暮らしに慣れているからか、インフラの整備や更新や開発の必要性に対する意識が薄くなっているような気がします。
日本国民に是非、素晴らしい日本のインフラを大切にし、更に開発していただきたいと思います。インフラ整備をおろそかにすることは、「発展途上国」へ逆戻りするようなことなのですから。
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