政府支出を巡る藤井・飯田討論について

今回は、列島強靭化論の提唱者である藤井聡・内閣官房参与(京都大学大学院教授、以下初出以外敬称略)が、メルマガ「三橋貴明の『新』日本経済新聞」に3週にわたり執筆された以下の記事について、私なりの理解を述べてみたいと思います。

上記メルマガ記事は、経済学者である飯田泰之・明治大学准教授がVoice・2014年3月号に寄稿した「経済政策:消費増税ショックに乗り越えるには」という論考で、

GDP統計では政府支出に限って真水1兆円の政府支出は「1兆円の価値」がある「ということにして」いる。政府が1兆円かけて穴を掘って埋める事業を行っても、GDP統計の上では「1兆円の付加価値が生まれた」として取り扱うのだ。しかし、その計算上の価値を享受するものはいない。この様な虚構の価値計上でGDPが上がっても、民間経済主体の景況感には何の足しにもならない。政府支出の取り扱いは、統計の泣き所なのである。

と指摘し、政府支出は実体的価値に乏しく(少なくとも民間と比較して)、景気対策として本来望ましくないことを匂わせているのに対して、別途寄せられた飯田氏からの回答の紹介も交えながら、当該指摘自体に合理的根拠が無いことを詳細に論じたものです。

また、やはり経済学者である青木泰樹・帝京大学短期大学教授によって、飯田氏による上記回答の問題点を指摘した論考が寄せられたとのことで、その内容が藤井氏のフェイスブックで紹介されています。

「飯田リプライの誤謬」 by 青木泰樹教授

政府支出の合理性を巡る討論

飯田氏は、藤井氏への回答の中で下記の様な例を挙げ、「実質的にBとCでは同じことが行われている(筆者注:実際の経済効果は同じ)にも関わらず、両者がGDPに与える影響が異なる(筆者注:BのみGDPに10億円が計上される)というのは、どう考えても統計ルールの不備でしょう。だから、政府支出のSNAの泣き所なのです。」と述べています(さらに別の個所では、何の意味の無い事業に収容費・資材費をかける分、Bの方が非効率でさえあり得ると指摘しています)。

A. 10億円を使って非常に重要な道路整備を行った
B. 10億円分の自宅警備事業(または穴を掘って埋める工事)を発注した
C. 定額給付金10億円を支給した

そして、政府支出の比較対象である家計や民間企業の支出については、

市場取引の対象であり、事前に価値が無いと思っているものに支出することはあり得ない。

ものと位置付けています。
さらに、市場取引については「その際適用される市場価格が、主観的な価値と概ね一致する(=支出額に見合った実体的価値がある)」と考えるのが妥当なのに対し、政府支出に代表される非市場取引には実体的な価値を客観的に評価する術が無い、と述べることによって、暗に「政府支出を平均的に見ると、支出額に見合った実体的価値は存在せず、同額の民間支出より非効率で価値は低い」ことをほのめかしています。

これに対して藤井氏は、

  1. 政府が造る道路も、製鉄会社や造船会社等がもともと自社のために引いてその後一般に供用された道路も、利用者にとっては差異が無い。
  2. どこかの物好きの金持ちが穴を掘って埋める事業が見たいからといって、それを建設業者に頼んだら実体として上記Bの事例と同じ。
  3. 仮に上記Bの事例で、何ら価値のあるストックが生み出されなかったとしても、その過程で受注業者の所得、ひいては世帯の所得になるフローが生み出されており、「景況感に何の足しにもならない」と断定することは、論理的に不可能である。
  4. 心理学上の科学的知見に基づけば、「市場価格が主観的な価値と概ね一致する」という主張自体、論理的に到底受け入れがたい(さらに言えば「主観的な価値」自体、長期的な合理性を反映できぬものであることは、行動心理学で何十年も繰り返し証明され続けている)。

といった指摘をし、「政府は基本的に、民間企業よりも非合理的な投資を行う」という飯田氏による暗黙の前提を非現実的なものとして批判しています(このテーマに関する青木氏の指摘は、概ね上記③をサポートするものです)。

→ 次ページ:「「市場の合理性」こそ非現実的な前提」を読む

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西部邁

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コメント

    • smd
    • 2014年 3月 13日

    民間の水増し投資の話は、設備投資のような中間財の場合はそこそこ起きえることであっても、最終財を無駄に買うというケースは少なく、GDPが最終財の売上(中間段階での付加価値の合計)であることを考えれば影響が小さいこと、また長期的には競争のある民間では利潤は限りなくゼロに近づく(製品の差別化による価格独占力の分しかなくなる)ため、無駄な水増し行動を行うような企業は赤字となり、退出している(全体に占めるウェイトは小さい)と期待できる、の二点でやはり政府部門とは異なります。

    • コメントありがとうございます。
      まず、民間企業の設備投資も公共事業同様最終財ですので、そこは訂正させていただきます。
      また、今回の論稿では、想定されておられるような枠組みの中で「民間・政府のどちらが効率的か?」という点についての問題に敢えて答えを出そうとしている訳でも、その枠組みにおいて飯田氏を批判している訳でもないことは、ご理解いただければと思います。
      そもそも、主流派経済学が想定していない「内生的景気循環」というマクロレベルの不均衡を民間経済が生み出すという現実がある中では、「どちらが効率的か」という議論にあまり意味はないと思います。
      むしろそうした現実を出発点として、「それぞれがどの社会的役割(事業)を担うのが適切か」を議論するべきでしょう。
      そうした役割分担の観点からは、妙なひねりを加えず、必要とされる「従来型の公共事業」を粛々と行うことこそ、むしろ「まともな政府支出のあり方」と言えそうな気がしますが、いかがでしょうか。

    • smd
    • 2014年 3月 13日

    飯田氏の言う「需要の過剰」は「供給力の不足」と同義です。「当初の価格の下における需要が、当初の価格の下における供給を上回る」という意味ですから。当然、その当初の価格では需給が一致しないので実際には価格が上がります。そして、飯田氏は土建業が技能産業化してしまったので短期的に供給力を増やせない、そのため通常は需要が供給を上回ったために価格が上がれば取引量が増える(この取引量が増えることが社会余剰を増やす=効率的になる)が、土建業の市場では供給が増えないために価格だけ上がって取引量が増えない、つまり効率的ではない、と主張しています。

    実際、そこかしこで土建関連の価格上昇が言われているように、価格調整はかなり大幅に、広範に起きています。当初ある過大な需要は、供給力に合うところまで減少している可能性が高く、不均衡にあると考えるべき状況ではありません。価格変動と経済効率を混同するどころか、供給制約にある(供給曲線が垂直)時の価格調整と効率性についての非常に正しい考察をされています。

    飯田氏は土建業が技能産業になったことが、公共事業で需要をつけても効率的にならない理由として挙げています。これは逆に言えば技能を獲得するだけの仕組みと、何より習得にかかる時間があった上でなら、効果があるということです。OJTが技能習得の中心になることを考えれば、企業が「一人前になるまで育てられるだけの期間、需要が続く」と思う必要があります。だからこそ、景気対策としての公共事業では、景気循環という数年の短いサイクルで政府からの需要が減ってしまうと企業が考えるため、失業者を新たに雇って技能習得を施し供給力を高めるという行動をとりません。労働者の側も、景気が回復に向かえば公共事業が減って首切りされるかもしれないような職業は嫌うでしょう。実際、昨年は公共事業の需要はそこそこ大きかったものの、建設業では人が減っています。そこで、飯田氏はもっと中長期的な、景気循環によって左右されることのない公共事業と、それを企業に信じてもらい新規に技能習得させる仕組み、そういったものが必要だと言っているわけです。それによって短期的には垂直(需要を増やしても取引量が増えず社会余剰が増えない)な供給曲線が、中長期的には右上がりになるのです。

  1. コメントありがとうございます。
    中長期的なコミットメントが必要、というご指摘はその通りですし、飯田氏が「リプライ」の中で、そういった趣旨の論述をしていることについては、今回の私の論稿でも言及しており、決して見落としている訳ではありません。
    しかしながら、

    ①「財政政策はあくまで緊急避難的で、公共事業(あるいはそれも含めた財政支出総額)を拡大しつつけるのは非現実的」というのが飯田氏の基本スタンスである。
    ②この15年余りは、「財政支出総額抑制ありきの前提で、高齢化で社会保障支出が不可避な状況で帳尻を合わせるために、半ば機械的に公共投資を削り続けてきた」というのが現実の財政政策であり、その基本スタンスは未だに変わっていない(つまり、飯田氏の基本スタンスの下で中長期的なコミットメントを論じるのは、机上の空論でしかない)。
    ③米国大恐慌時のニューディール政策にしても、決して中長期的なコミットメントの下で行われていた訳ではない(均衡財政主義に囚われていたルーズベルトは、大統領2期目で一時緊縮財政に振れてしまい、「ルーズベルト恐慌」と呼ばれる事態を招いた)。レジームの転換点では「とにかくやってしまう」のも場合の手として必要。
    ④支出総額という観点で見れば、「消費税増税に対応した景気対策」とされつつも実態は前年度比緊縮予算であり、さらにその中に公共投資を含めないとなると、事実上「負のコミットメント」にすらなりかねない。需要が現状維持でも労働者の高齢化等によって供給力は減少していくのに、これでは致命的(傷口から出血が続いているのに医者が来るまで止血しない、と言っているようなもの?)。
    ⑤「中長期的な観点でしか人が反応しない」ことを前提に「供給曲線は垂直」と考えるのは、それこそ新古典派的な非現実的な想定。人はそこまで合理的ではない。現実には目先の変化に反応して技能を身に着けようとする動きは確実にあるはずで(しかも全てのプロジェクトで高度な技能の不足がボトルネックになっている訳でもないでしょう)、その結果は「中長期的な人的ストック」として蓄積され、④で述べた状況の改善に役立つ。しかも、事業の結果出来上がったインフラは、中長期的に役に立つ。

    といった諸々の点を踏まえると、いただいたご指摘、あるいは飯田氏の議論は、やはりナイーブというか、きれい事でしかないように思います。
    少なくとも15年以上の経済失政によって陥った現状から脱却するのはそうそう簡単な話ではなく、検討する際の前提を現実に即して真摯に見直し、地に足の着いた議論をすべきではないでしょうか。

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