村上春樹における文学と政治 ―デタッチメントとコミットメント
- 2014/12/9
- 社会
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** 目次 **
【はじめに ―政治発言の凡庸さへのとまどい】
【空虚な政治発言1 ―日本の原子力政策批判】
(ⅰ)核利用は悪か?
(ⅱ)原子力政策への批判
【空虚な政治発言2 ―ナショナリズム批判等】
(ⅰ)国防意識は安酒の酔いか?
(ⅱ)「平和憲法」をめぐる発言
(ⅲ)戦争責任についての発言
【60年代への訣別】
【オウム真理教事件が与えた衝撃】
【遍在する壁】
【グローバリズムとナショナリズム】
【村上春樹のナショナリティ】
【村上春樹の歴史感覚】
【ステートメント】
【深さの文学】
【文学と政治】
【はじめに ―政治発言の凡庸さへのとまどい】
村上春樹が2014年11月7日にベルリンでスピーチをし、日本でも話題になった。今の時点ではスピーチ全文を知るすべがなく、その内容が新聞やTVで断片的に報じられているだけである。だから今これについて詳述することはできないが、報道によれば、「壁の中に捕らわれていても、壁のない世界について語ることはできる」とし、「壁を突破する感覚をもたらす物語を読者と共有したい」という趣旨のスピーチであったようだ。(要旨は中日新聞、朝日新聞、毎日新聞の各WEB版に拠る。以下同じ)
村上春樹自身がスピーチの中で語っているように、「壁」は2009年のエルサレムでのスピーチの流れを汲んだテーマである。
そして「壁」は村上春樹の初期の作品以来一貫したモチーフであるといっても過言ではないだろう。
村上春樹が公の場で肉声を披露するのは、1991年12月ニューヨークでのジェイ・マキナニー(作家)との公開対話(『芭蕉を遠く離れて―新しい日本の文学について』)が最初である。村上春樹本人の言葉に拠れば、「僕は実を言うと、人前で話をするのは、これが生まれて初めて」(「すばる1993年3月号」)だそうだ。村上春樹の処女作『風の歌を聴け』(1979年)の中では、作者の心象を投影したと思われるひどく無口な幼い少年が登場し、精神科医のカウンセリングを受ける場面が印象的に描かれている。
村上春樹が公の場で発言するようになった時期は、初期の作品群に漂っていたデタッチメント(関わらないこと)のスタンスが、やがてコミットメント(関わること)の志向へと転換し、後の作品群に顕著となる「根源的な悪との対決」に発展していく頃と重なる。『ねじまき鳥クロニクル』(単行本は第1部・2部が1994年,第3部が95年刊。第1部の雑誌初出は92年~93年)はその意味で大きな転機を示す作品であろう。
『羊をめぐる冒険』(1982年)における「羊」や『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)における「やみくろ」は根源的な悪のメタファー(暗喩)である。
根源的な悪の実体が闇から引きずり出されて外部に対象化されるのは『ねじまき鳥クロニクル』以降であり、それとともに村上春樹の社会的発言の機会も徐々に増えていく。最初のうちは文学やその周辺のテーマに限られていたが、近年は政治的なメッセージを含む発言が多くなってきた。
社会的発言のうちのどこからが政治的メッセージになるのかということについて明瞭に線引きできるものではないが、近年の発言に見られる「日本の原子力政策批判」や「ナショナリズム批判」は紛うことなき政治発言である。
発言におけるこの転機は、後述する2009年のエルサレムでのスピーチにあったといえよう。
村上春樹の文学が持っている深さと、政治発言に見られる凡庸さあるいは浅薄さとの落差を目撃するとき、驚きととまどいを禁じ得ない。
この「とまどい」が本稿を書き進めるモチーフとなった。
気が重いことではあるが、まず村上春樹の政治発言について検討することから始めたい。
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〔訂正〕
p.5【オウム真理教事件が与えた衝撃】の章で上から7行目に「1978年の時点で」とありますが、正しくは「1982年の時点で」です。筆者の誤記です。訂正します。