松下幸之助、出光佐三から学ぶデフレ不況の乗り越え方

お金だけで人間は成り立たないという当たり前の感覚を取り戻せ

少し補足しますと、デフレ不況期に経営者が選択できる道はそれほど多くありません、一つは、製品やサービスの単価が下がっても、利益を維持するために生産や供給を増やすか、もしくは、売上の低下に合わせて、従業員の給料を下げるか、リストラをする、あるいは、そのような時期には、安い賃金で徹底的に従業員を働かせるいわゆるブラック企業のようなものが台頭したりします。しかし、これらは、全て一企業のミクロな観点からは合理的な選択であっても、社会全体の需要をますます縮小させる合成の誤謬という現象を発生させます。一見無茶に思える先の松下幸之助の経営判断なども、実は少し引いたマクロな視点から考えるなら実に合理的な選択と言えましょう。

 実のところ、松下幸之助などは、実に良く社会と企業の関係性というものを理解していたのではないでしょうか。つまり、企業が業績不振だからといって、すぐにリストラをすれば、社会に失業者が溢れ社会の秩序が乱れる。そうなれば、治安や経済やビジネスの環境が悪化し、必ずリストラを行った企業にもその悪影響が跳ね返ってくると、そういったことを理解していたのではないかと思うのです。

 また、出光の側近であった石田正實は出光の葬式で、安らかに眠る出光佐三の横顔を見ながら、「この人は、生涯ただの一度も私に『金を儲けろ』とは言われなかった。40年を超える長い付き合いだったのに...」と呟いて落涙したそうです。やはりこの出光という人物も金よりも大切な何かを見続けていたのでしょう。

 翻って、このごろの安倍首相の発言をみると、あまりにも金の話ばかりでうんざりしてきます。それも、国民皆で頑張って豊かになろうという話ではなく、もっと企業家や投資家が自由に金儲けをできるように制度を改変しようという話なので、2重に呆れてしまうのですが、さらに問題なのが、教育改革においても、「グローバルなビジネスで勝ち抜けるように」とか「もっと、実社会(要はビジネス社会)で役に立つ教育を」とか「国際ビジネスの場で不利にならないように英語教育を強化しよう!!」とかそんな話ばかりで、本当にうんざりさせられます。安倍首相の保守的な意味における教育改正に期待していた保守派の言論人たちは、なぜ現在の明らかにビジネス重視の安倍政権の政策や教育改革を批判しないのでしょうか。

新渡戸稲造は、1922年、東京女子大学の第一回卒業式に寄せた祝辞で次のように述べています。

「此の学校は、ご承知の通り我邦に於ける一つの新しい試みであります。従来我邦の教育は兎角形式に流れ易く、知識の詰込に力を注ぎ、人間とし、又一個の女性としての教育を軽んじ、個性の発達を重んぜず、婦人を社会而も狭苦しき社会の一小機関と見做す傾向があるのに対して、本校に於いては基督教の精神に基づいて個性を重んじ、世の所謂最小者をも神の子と見做して、知識より見識、学問より人格を尊び、人材よりは人物の養生を主としたのであります。」

知識より見識、学問より人格を尊び、人材よりは人物の養生を主とする、これ以外に保守の教育改革の理念などありうるのでしょうか?もちろん、経済もビジネスも現在において、非常に重要であることは間違いありません。しかし、現在の日本は、あまりにもお金やビジネスの問題に傾斜しすぎた結果として、あまりにも精神のバランスを欠いてきたのではないでしょうか。そのようなバランス感覚を喪失した結果、そのビジネスや経済の力すら落ちぶれかけているというのが、今の日本の現状であるように思います。

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西部邁

高木克俊

高木克俊会社員

投稿者プロフィール

1987年生。神奈川県出身。家業である流通会社で会社員をしながら、ブログ「超個人的美学2~このブログは「超個人的美学と題するブログ」ではありません」を運営し、政治・経済について、積極的な発信を行っている。

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コメント

    • MT
    • 2014年 6月 18日

    「生産を半減して、給料は全額補償する」ことでデフレ脱却を目指す、というのは本末転倒な上に愚策ですね。

    生産力が遊休しないようにすることで生活水準を高める、そのため生産力に見合うまで需要を高めるためのデフレ脱却であるのに、生産力をわざと遊休させてしまったら、デフレ脱却が出来ても生活水準は高まらない。

    しかも、「生産を半減して、給料は全額補償する」では、今すでに雇われている人はいいが、仕事がない人は救われない。企業にとっては社員でない人まで面倒が見れないし、社員が半分休業しているところで失業者を雇おうとはしない。安い賃金でも雇われたい彼ら失業者が人余りを作り出し、賃金はずっと下落圧力が掛かり続ける。給料の補償が強制されていて下がらなくても、上がることはない。「生産を半減して、給料は全額補償する」によって商品の価格は上がっているのに賃金は上がらないことになる。

    その結果、デフレ脱却も一時的なもので終わる。「生産を半減して、給料は全額補償する」で引き起こせるのは、継続的な物価上昇であるインフレではなく、一時的な物価の跳ね上がりだが、その後は減らない失業者、上がらない賃金によって、デフレの再来となる。

    デフレ脱却をするには、まず人余りをなくすこと。それは経営者には解決の難しい問題。松下幸之助ばかりの世の中になって「社員」を守っても無理。社員になれていない人を雇って社員にしやすい環境を作り出す必要があるが、これは経営者の善意でどうこうなるものではない。

    • zas
    • 2014年 6月 18日

    >「直ちに工場は半日勤務にして生産を半減せよ。しかし従業員の給料は全額を支給する。そのかわり休日返上、全員で在庫を売り切れ!」

    生産部門の人を半減させて販売部門に移し販売を強化し、さらに休日返上までさせて在庫をどんどんと市場に流し込むようにすれば、市場での財の余剰が増えてしまってデフレが深まります。

    生産部門ではないですが、全員が休日返上で販売部門で働くわけなので給料は全額支給されるのが当然です。むしろ休日出勤手当てがないとすれば、販売不振の影響を直接に従業員に背負わせるブラックな対応です。

    • こてつ
    • 2014年 7月 04日

    松下はどうなんでしょうかね?
    松下政経塾自身、松下当人が所得税の累進課税がきつすぎる、という事で発足させた一面もありますし
    実際にこの人の基で経済学者が考え「日本再編計画、無税国家への道」というタイトルで本を出しています
    実はこれ、小沢が当時指向していた構造改革の種本と有力視できるぐらいそっくりな本なんですよ

    当時公共事業と金融のバランスがそんなに悪くなく、しかも会社員が絶望的に足りないと言うことで入れてしまえ、という風潮の基で
    植木等がドント節を歌えるぐらい兎に角景気が良かった頃です
    (今はハケンの品格w)
    この状況だと、ちょっと凹んだぐらいで社員を削るって馬鹿のやることなんですよ
    おそらく他の会社も割合同じようにしていたと思われます

    今当人が存命しておりませんし、松下当人も確か最初の数回出たっきりで、松下政経塾と呼べるぐらい本人の意思と一致した組織である、とは思えませんが
    なんかなーと思ってコメント書きました

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