思想遊戯(9)- パンドラ考(Ⅳ) 高木千里からの視点

第三項

 そういえば、こんなこともあった。
 一葉が放課後の教室で夕焼けを見ていた。その横顔があまりにもきれいだったので、私は思わずたずねてしまった。
千里「夕焼け、見ているの?」
 一葉は、夕日を見たままこちらを見ることもせずに、こう言ったのだ。
一葉「夕焼けが赤くて、綺麗だね。」
千里「そうだね。」
 私も、一緒になって夕焼けを見てみる。確かにきれいだとは思うけど…。
一葉「ちーちゃん、私は今、自分の言葉に驚いています。」
千里「は?」
一葉「私は今、夕焼けが赤くて、綺麗だねと言いました…。」
千里「言ったね。」
一葉「実に不思議だと思わないかな?」
千里「少なくとも、一葉は不思議なやつだなぁとは思うね。」
 一葉の言うことは、ほとんどが不思議だ。
一葉「まず、なぜ夕焼けは赤いのかな?」
千里「それ、最近授業でやったやつでしょ?」
一葉「授業は上の空なので。」
千里「自分で言うか。」
一葉「教えて。どうして、夕焼けは赤いのかな?」
 私は物理の授業で、教師が話していた内容を思い出しながら語る。
千里「ええと、光には波長があって、波長の長さによって色の違いがあるわけ。青色の光は波長が短くて、すぐに散乱してしまう。赤色の光は波長が長くて、散乱しづらいのね。日中は、太陽と人間の間にある大気圏の距離が短いから、青色の光が散乱して、空が青色に見える。夕方は、太陽と人間の間の距離が長いから、青色の光は散乱しつくして、人間に届くときには赤色の光の散乱が目に見える。だから、夕日は赤いってことだよ。」
 一葉は、静かに私の話を聞いている。
千里「それで、夕日は赤いのね。日中は太陽に光が真上から来るため空気の層の距離が短く、夕方は斜めに地球に入ってくるので、通って来る空気の層の距離が長くなる。だから、光の波長による散乱に差が生まれ、青に見えたり赤に見えたりするということだね。」
 一葉は、私を見つめながら静かに言った。
一葉「ちーちゃんは、それで夕日が赤いことを納得したのかな?」
千里「はあ? そりゃあ、納得するんじゃない?」
一葉「なぜ?」
千里「なぜって、授業でそう習ったからだよ? 何? 実際に自分で実験していないのにとか、そういうこと?」
一葉「確かに、そこも疑えるよね。」
千里「はあ…。でもさあ、それを言っていったらキリがないよね。授業で習ったことを、いちいち自分で実験して確かめていったら、時間がいくらあっても足りないよ?」
一葉「そうだね。ちーちゃんはさすがだね。」
千里「……なんか、全然褒められた気がしないのだけれど。」
一葉「そんなことないよ。ちゃんと褒めているよ。でも、私が気にしているところは、そこでもないの。」
千里「じゃあ、どこなの?」
一葉「なぜ、青色の光は波長が短くて、赤色の光は波長が長いのかな?」
千里「なぜって、それは、そうなっているからじゃないの?」
 私は、一葉が何を問題にしているのかを理解しかねていた。
一葉「でも、赤色の光の波長が短くて、青色の光の波長が長くてもよかったと思えるのよ。そうしたら、日中は赤色で、夕焼けは青色になるの。」
 私は、その光景を想像し、薄気味悪くなる。
千里「なんか、気持ち悪いね。それ。」
一葉「そうかもね。でも、そういう世界でもよかったと思うの。でも、この世界は、そういう世界ではない。日中の空は青いし、夕日は赤い…。」
千里「それは、だって、そうなっているって話じゃないの? 調べてみたら、青の光は波長が短くて、赤の光は波長が長くて、日中は青空で、夕日は赤い。だから、それだけの話でしょう?」
 一葉は、静かに首を振る。
一葉「違うよ。ちーちゃん。たしかに、現実にそうなっているね。もう少し言えば、光の波長が目に入り、それが刺激として脳に伝達し、そこでの化学反応を調べることもできる。でもね、そこまでしても、なぜ、青色と赤色が生まれるのか、そこが分からないの。」
 一葉の話が進むにつれ、私にはドンドンと理解できなくなっていく。
千里「なんで分からないの? 調べてそうなったのなら、そうなることが分かったってことじゃないの?」
一葉「確かに、そうとも言える。例えば、科学的な検証では、そうせざるをえないとも思う。でも、それは、きっとそんなに大切なことじゃないと思うの。」
千里「じゃあ、一葉にとっては、何が大切なことなのさ?」
一葉「さっき私は、夕焼けが赤くて綺麗だと言いました。赤いとはどういうことなのか? 綺麗とはどういうことなのか? 色と美を結びつけているものは何なのか? そんなものは、そもそも存在しているのか? どれもが不思議で、大切なことのように思えるの。」
 私は一葉の言葉を聞いていて、かなり不安になってきた。
千里「ねえ、一葉。そんな変なことばかり考えるの、ダメだとは言わないけど、もっと普通のことを考えるようにした方がいいよ。そんな話、きっと、誰にも通じないよ?」
 一葉は、少し寂しそうな表情を見せる。
一葉「そうだね。そうかもしれないね。」
 その表情を見て、私はいたたまれない気持ちになる。私は、何かとてもひどいことを言ったのかもしれない。
千里「でも、まあ、赤くてきれいだってのは、めずらしさもあるんじゃないかな? 日中も夕方もずっと青かったり赤かったりしたら、多分きれいとは感じないと思うんだ。青色だったのが、夕方になると赤くなる。その変化がきれいだって思わせるんじゃないかな?」
一葉「そうだね。夕方に空を見上げて、美しい夕日を見るのは素敵なことだね。」
 そう言って、一葉は夕日を見ているのだ。夕焼けの赤が一葉の横顔を染める。私は、とても美しいものを見ているのだと思った。
 一葉は、感受性がとても高いのかもしれない。私は言おうかどうか迷ったが、やっぱりきちんと言うことにした。
千里「一葉、正直に言うけど、私には、あんたの言っていることがほとんど理解できない。理解できていない。残念だけど。」
一葉「そう。」
千里「でも、一葉がそれについて真剣に考えているのは分かる。一葉にとっては、それは、とても大切なことなんだろうと思う。だから、私には分からないけれど、頑張って。」
 私がそう言うと、一葉は静かに微笑んだ。
一葉「だから、ちーちゃん、好き。」
 私は、おもわず赤面してしまった。

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