90年代以降の「わたし」問題
少しゼロ年代の話を取り出しますが、「わたし」と「あなた」の境界が見当たらなくなり、まして、「わたし」しかいないんだというような世界観が蔓延し始めるゼロ年代には、「自分探し」なるものが流行ります。
そして、不思議と、「自分探し」の旅や活動は海外で行われることが非常に多いわけです。上にも述べましたが、「わたし」と「あなた」問題はアイデンティティークライシスに繋がっていると考えると、如実に「わたし」と「あなた」の境界を意識できる海外というのが、最も良いわけです。特に、現代日本において「あなた」は米国が入ることが多いので、米国以外の文化圏などが魅力的に移ったりするわけで、一種の流行病のように「自分探し」が表れました。
90年代を語る上での作法急
さて、3部にわたって、90年代を語る上での作法を言及してまいりましたが、最終的には、「わたし」問題に落ち着きました。要は、アイデンティティークライシスが一個人レベルではなく、世代、時代、あるいは国家レベルで起こったのが90年代だったといえそうです。
それ故、90年代の政治・経済は全くもって、興味を抱かせないものとなりました。結局は、アメリカスタンダードにドップリ浸かっていく過程でしかなく、橋本龍太郎首相の言葉も、名前を知らずに引用すれば、小泉首相のそれと大差ないようにも見えてくる内容です。
それであれば、90年代は何も産まなかったかといえば、一概にそうとはいえません。そもそも、「わたし」を見失った国家や文化が生み出すものはカオスでありました。その象徴とでも言うべき、ゼロ年代に飛躍したTSUTAYAのCDレンタルフロアは、無茶苦茶なカテゴライズしかできないトレンドをそのまま提供していました。
要は、消費者が「批評家」としての立ち位置を獲得し、様々なことを再定義することを許された時代でもあったわけです。
そういう意味で、90年代に育った私が様々なことを批評して再定義しているのは、時代の必然なのかもしれません。
※次稿「フラッシュバック 90s【Report.34】日本礼賛番組と一人当たりGDP」はコチラ
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