まぐまぐ!特別対談 ケント・ギルバート×東條英利「日本人の在り方」

東條:靖国といえば、過去にはあのジョン・レノンも、ここを参拝していたんですよ。

ケント:へぇー。はじめて聞きました。

東條:写真も実際にあるんですよ。この話は、私が代表理事を務めている国際教養振興協会の顧問でもある、加瀬英明先生から伺ったんですけど。その加瀬先生がジョン・レノンに、日本の神道ってこういうものなんだよって、教えていたらしいんですよ。

ケント:ほほう。

東條:で、なんで加瀬先生がジョン・レノンに教えていたかというと……実は加瀬先生の従妹にあたるのが、オノ・ヨーコさんなんですよ。

ケント:うそ!?

東條:親戚関係。だからその縁で靖国はもちろん、伊勢神宮とかも参拝してたらしくて。……それで『イマジン』って曲があるじゃないですか。日本だと“リベラルソング”として有名なんですけど、加瀬先生曰く「あれはオレがジョン・レノンに神道を教えた結果作った曲だから、“神道ソング”なんだよ」って。

ケント:へーーー!

東條:「そうだろ、ジョン!」って言ったら、「ウン」って言ったって(笑)。ただ、これだけだと弱いんで、だから一度オノ・ヨーコさんにお会いして、ほんとにそう思ってたかどうかって、一度聞いてみたいんですよね。もしも、それで「YES」だったらですね、神道や靖国に対する見方が恐らく大きく……。

ケント:靖国のテーマソングが『イマジン』。……これはまた、最高ですね。

東條:まぁ、そもそも神道って教義性という教義、教えとかもないですからね。私も“神道は宗教ではない”というのが持論なんです。どちらかというと生活というかライフスタイル、イデオロギー的な部分があるんじゃないかな、と。事実、もともと宗教という言葉は日本になかったんですよ。何でその言葉ができたかというと、“religion”という単語が入って来た時に、その訳語がなかったからなんです。

ケント:“religion”の日本語ってなかったんですか?

東條:もともとは、宗旨とか宗派って言葉がありまして。仏教の宗派とかと一緒に、習合してたんですよ。ごちゃまぜにミックスされてたんで、一個一個の教えによる体系化っていうのが、まったくなかったんですね。

ケント:宗教法人みたいなものもなかったですね。

東條:宗教法人っていうのは、完全に戦後できたものですね。だから、そういう意味で、神道ってものすごく解釈が難しいっていうのもあるんです。ただある意味、日本で2000年以上……断絶せずに続いてきた昔からの考え方を、ちょっと現代的に解釈をしているというところが、私の中では日本人が変わっている部分じゃないかな、と思うんです。

ケント:私も大学で、世界の宗教比較をやったんですけどね。ヒンズー教、仏教……神道はもちろんやりました。あとキリスト教、イスラム教……あとはなにがあったかな。代表的なものはひととおりやりました。面白かったのは、たとえば韓国と日本の宗教観がまったく違うんですよ。韓国の場合は“ムーダン”っていう、日本語でいうとなんというんでしょうね。要は人間と神様の間の取次ぎ役。なんていうんですかね。

東條:巫女さんみたいな。昔でいうと卑弥呼とかそういう立場なんでしょうかね。

ケント:それが必ずいるわけですよ。キリスト教もそうなんですけどね。

キリストと神様、預言者みたいな。……その点、神道は全然違います。

自然崇拝というと、ちょっと語弊はありますけど、自然の中の霊的な部分を感じる、尊敬する、守ってもらうようなもので、必ずしも宗教団体というものでもない。

東條:ある意味、受動的というか。私もよく講義はさせていただくんですけど、本来であれば、宗教の前提条件って何かっていうと……これは持論なんですけど、やっぱり私たちが不完全な存在であるってことが前提条件としてあって、それで神様が存在するわけじゃないですか。

ケント:キリスト教もそうですね。

東條:それを置き換えたときに、一般的な宗教というのは、たぶん自分の足らないものとか答えとかを、第三者に求めるんですが、神道はどうするかというと……鏡ってあるじゃないですか。例え話であるんですが、ひらがなで“かがみ”と書いて、そのまんなかの“が”の字、“我=自分”を抜くと“神”になる。

ケント:あぁー。

東條:要するに鏡に映った自分自身に、自問自答をずっと続けてるんだと。だから、道ってずっと繋がっていくんだと。そういう風に、答えが出ないまま追い続けるという、反復作業のなかで過ごしていくっていうのが、日本人の人生観の根底にはあって、そこが外国人との宗教観に大きな違いが出る理由なのじゃないかなと。

ケント:そこが、西洋人はよくわからないんですよね。だから“日本は無宗教の国だ”って断じてしまう。でも私は、それは違うなと思うんですよね。宗教団体に対してのアレルギーはあるかもしれない。一神教に対してのアレルギーはあるかもしれない。でも、宗教的な霊的な部分がないっていうのは、それは絶対に違いますよね、日本人は。

東條:だって無宗教だって言われながら、日本人ほどお化けの話とか都市伝説とか好きな国民性って、ないと思うんですよね。

ケント:ほかにも手相だの、星座だの、血液型だの……好きですよね、日本人(笑)

東條:そういう、なんて言うんですかね。見えざるものへの憧れというか、そういうものの根底に“神道イズム”的なものが見え隠れするんですよね。昔から日本には、“お天道様が見ている”っていうような考え方がありますよね。人が欲と対峙する際にどうコントロールするかっていうことの、ひとつの方法論が宗教にはあると私は思うんですが、それを“見えざるもの”を使ってセルフコントロールしようとするのが、ある意味神道なんじゃないかと。

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西部邁

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