イスラム国とは何か

イスラム国建国を目指す

 一方、ネットを通じてイスラム国への賛意を表すテロ組織も相次いでいる。

 実際、バグダディが二〇一四年六月にイスラム国の建国を宣言して以降、女子生徒を拉致して大きく報じられたナイジェリアのボコハラムやフィリピンのアブサヤフ、パキスタン・タリバンの一派、エジプトのアンサール・ベイト・アルマクディス、AQIM(イスラム・マグリブ諸国のアルカイダ)の分派とされるグループなどから「イスラム国への忠誠を誓う」とする宣言がインターネット上で発表された。

 このようなイスラム過激派グループにとってサイバー空間は新しい聖域(safe haven)となっており、フェイスブックやツイッターなどのSNS、Youtubeなどの無料動画サイトなどを巧みに利用しながら連絡を取り合い、相互に存在感をアピールしている。

 イスラム国は世界各国から賛同するメンバーを募集・リクルートし、またアブサヤフやボコハラムなど遠い地域のイスラム過激派へも影響力を拡大するなど、国境を超えたヒト・モノ・情報の流れを巧みに利用している。「イスラム国」という名前にも、他の組織の賛同を得やすくする工夫が凝らされている。前身組織では「イラクのイスラム国」「イラクとレバントのイスラム国」という、範囲が限定された名前だった。だが、今回は範囲を限定しない「イスラム国」を名乗っている。

 この名前は、南アジアや東南アジア、アフリカなど他の地域で活動し、同じようにイスラム国家の創設を目指すイスラム過激派からしてもより開放感がある名前と言える。

 実際、イスラム国の建国が宣言された六月以降に、ボコハラムやアブサヤフ、マクディス等のイスラム過激派が忠誠を誓う宣言を行っている。「イスラム国」の大元の由来は、一つに二〇〇三年のイラク戦争後に同国内でテロを繰り返すようになった「イラクのアルカイダ」(AQI)にある。その後、AQIが弱体化し、二〇〇六年十月に「イラクのイスラム国」(ISI)として登場。

 さらに二〇一三年四月からは、地域を限定した形で「イラクとレバントのイスラム国」(ISIL)と名乗っていた。その後、「イスラム国」と地域を限定しない名前を名乗るようになった。

 由来となったAQIは、イラク国内でカリフ国家創設を目標とするイスラム教スンニ派武装勢力で、二〇〇四年四月にAQIの前身組織である「アル・タウヒード・ワル・ジハード」(al-Tawhid wal-Jihad)を率いるヨルダン人、アブ・ムサブ・ザルカウィによって設立され、二〇〇四年十月にはアルカイダのビンラディンへの忠誠を宣言した。

 一般的には、イスラム国とアルカイダコアは対立的な関係にあると言われ、実際、アルカイダコアのトップ、アイマンザワヒリはイスラム国を破門している。また両者はイスラム国家建国に向けてのアプローチ、欧米への聖戦をどの程度重視しているかなどで根本的な違いが見受けられるものの、厳格なイスラム法に基づくイスラム国家の創設を目指している点では同じであり、両者の間には歴史的にも思想的にも多くの共通点、類似点があることは理解しておく必要がある。

テロ件数は増大

 AQIは、二〇〇三年八月のイラク国連事務所爆破テロ事件や二〇〇四年十月の日本人青年殺害事件などに代表されるように、バグダッドをはじめモスルやティクリート、ファルージャなどイラク国内でテロを繰り返してきた。

 さらには、二〇〇五年八月のイスラエル・アカバ湾に停泊中の米軍艦を狙ったロケット発射事件や同年十一月のヨルダン・アンマンにおけるホテル爆破テロ事件など、イラク国外にも拡がった。

 しかし、二〇〇六年六月に米軍の空爆でザルカウィが殺害され、翌年には米軍がスンニ派の部族勢力と自警団「覚醒評議会」を形成し、ISIに対する大規模な掃討作戦を行った。それによりISIは弱体化し、イラクのテロ事件数は二〇〇六年から二〇〇七年をピークに減少傾向に転じた。

 だが、ISIは米軍のイラクからの撤退、宗派対立の激化などを背景に、バクダッドを中心に軍や警察、シーア派教徒を標的としたテロ攻撃を繰り返すなど、その活動を再び活発化させていった。そしてそれ以降、イラク国内で発生するテロ事件数は近年、特に増加傾向にある。

 たとえば二〇一四年四月、米国務省公表の「二〇一三年版テロ年次報告書」によれば、同年にイラク国内で発生したテロ事件総数は二千四百九十五件で、パキスタンを抜いて世界ワーストとなり、犠牲者数と負傷者数もそれぞれ六千三百七十八人、一万四千九百五十六人と悲惨な数字となった。

 二〇一三年にISILと名前をリニューアルしていた組織は二〇一四年、一月にイラク西部アンバル県にあるファルージャやラマディを、六月には北部モスルをそれぞれ制圧し、財政的、組織的、軍事的に強大化するための大きな切り札を得た。

 その勢いに乗るように、モスルの制圧後は南下し、タルアファルやティクリートなどを制圧、首都バグダッド付近まで勢いを拡大するに至り、六月に「イスラム国」の建国を宣言した。

 このような来歴をもつイスラム国だが、なかでもその〝残虐性〟には国際的な非難が集まっている。イラクでは少数民族ヤジディ教徒を迫害。さらにシリアで米軍主導の空爆が開始されるようになると、その報復としてイスラム国は八月二十日と九月二日にシリア国内で拉致した米国人を一人ずつ、斬首によって殺害し、映像を公開している。

→ 次ページ「組織拡大の『反動』」を読む

固定ページ:
1 2

3

4

西部邁

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

  1. 2014-8-6

    経済社会学のすゝめ

     はじめまして。今回から寄稿させていただくことになりました青木泰樹です。宜しくお願い致します。  …

おすすめ記事

  1. 「マッドマックス 怒りのデス・ロード」がアカデミー賞最多の6部門賞を受賞した。 心から祝福したい。…
  2. はじめましての方も多いかもしれません。私、神田錦之介と申します。 このたび、ASREADに…
  3. ※この記事は月刊WiLL 2015年6月号に掲載されています。他の記事も読むにはコチラ 女性が…
  4. ※この記事は月刊WiLL 2015年4月号に掲載されています。他の記事も読むにはコチラ 「発信…
  5. 多様性(ダイバーシティ)というのが、大学教育を語る上で重要なキーワードになりつつあります。 「…
WordPressテーマ「SWEETY (tcd029)」

WordPressテーマ「INNOVATE HACK (tcd025)」

LogoMarche

TCDテーマ一覧

イケてるシゴト!?

ページ上部へ戻る