保守こそ本当の反日になれ

アイリス・チャンに学ぶこと―反日は一枚岩ではない―

 しかし次作『ザ・チャイニーズ・イン・アメリカ』になると、同じ中華意識や自己顕示欲が、アメリカ人としてのナショナリズムを否定しにかかる。チャンはこの本で、中国系移民への差別に対する批判を繰り広げたのです。

 彼女自身は「中国系アメリカ人として、同国の理想を信じればこそ、あえて苦言を呈する」つもりだったのかもしれません。だとしても『ザ・チャイニーズ・イン・アメリカ』、前作のような評価は得られませんでした。

 するとチャンは鬱(うつ)状態に陥り、CIAなどの米政府機関が自分を陥れようとしていると信じ込みます。そのあげく、待ち受けている苦痛に耐えられないという理由で、ピストル自殺を遂げてしまったのです!

 彼女の死については、何らかの陰謀により暗殺されたのではないかという見解もありますが、これに説得力はありません。アメリカ人としてのナショナリズムと、中華意識との間のバランスが取れなくなったあげく、自己顕示欲が否定的な形で暴走したと考えるだけで、十分に説明がつくからです。

 自殺直前のチャンは、太平洋戦争中、日本軍がフィリピンで(米軍相手に)犯したとされる残虐行為を取材していたそうなので、反日的な姿勢を弱めたとも思えません。そのチャンが、日本ならぬアメリカが自分を陥れようとしていると信じていたのです。『ザ・レイプ・オブ・南京』で浴びた脚光はどこに行ったのでしょう?

「中国の反日」と「アメリカの反日」の接点など、しょせんこの程度。ついでに反日行為を展開する者の内面、ないし意識が、きっちりした一貫性を持っている保証はなく、矛盾だらけの場合すらあるわけです。反日意識に一枚岩の本質など存在しない——アイリス・チャンは、命と引き換えにこのことを示したと言わねばなりません。

 ただし「本当の反日とは何か」というテーマに、意味がないわけではない。「意識」などにこだわるから、かえって話が混乱するのであって、反日には確かに本質が存在します。

 理解の手がかりとなるのは、「本当でない反日」とは何かを考えてみることでしょう。まず、単なる日本批判を「反日(行為)」と規定するには及びません。

 最近の保守派は「日本を主語とする」ことにこだわっていますが、だったら他国の人々が、自分たちの国を主語としてものを考える権利も認めるべきです。そして国家間の利害はしばしば対立する以上、日本が批判の対象となる場合もあって当たり前。それにいちいち「反日」と目くじらを立てるのは、度量が狭過ぎます。

 日本人が日本を批判した場合も同様でしょう。日本といえども、別に完璧な国ではない。批判すべき点は批判した方が良いのです。ほかならぬ保守派も、(戦後)日本への批判を続けているではありませんか。

反日の核心にあるのは“道義性”と“永続性”だ!

 では、「日本の国益を損ねるような言動」はどうか? これもほとんどの場合、反日と規定するには不十分です。外国人がそのような言動を取る場合と、日本人が取る場合に分けて考えてみましょう。

 外国人の場合、事は明快です。いかなる国の人間も、自国を主語としてものを考える権利を持つというのは、自国の国益を最優先させる権利を持つことに等しい。

 ゆえに政治指導者であれ、民間人であれ、日本の国益を損ねるような言動を取る場合があるのも、またもや当たり前にすぎません。TPPが日本の国益を損ねる恐れが強いからと言って、「TPPを推進するアメリカは反日国家だ」と片付けるわけにはゆかないのです。

 日本人の場合はどうか。多少「クロ」に近付いてきましたが、決定的ではありません。「何が日本の国益か」という点も、一枚岩ではないからです。

 同じ国益でも、短期的な利益と長期的な利益、政治的な利益と経済的な利益、国内的な利益と対外的な利益などが、常に一致するはずはありません。矛盾や対立が生じる余地はいたるところにひそんでいます。

 分かりやすい例を一つ。日露戦争の際、わが国の代表として講和会議に臨んだ小村寿太郎(こむら・じゅたろう)は、ロシアから賠償金を取ることを放棄しました。国内世論は憤激、暴動や焼き討ちが起こったあげく、政府が東京に戒厳令を敷くまでに至ります。

 しかし、当時の日本は国力の限界に達しており、戦争を続行すれば形勢逆転も起こりかねない状況でした。小村は表面的にこそ国益を損ねたものの、根本では国益を守ったのです。

 小村寿太郎を「反日」呼ばわりすることはできません。同様、第二次安倍内閣にしても、TPP参加に積極的な姿勢を見せているというだけで「反日政権」と切り捨てるのは、やはり行き過ぎでしょう。

 単なる日本批判は反日にあらず、日本の国益を損ねるような言動も反日にあらず。「本当の反日」とは、いったい何なのか?
 私の定義はこうです。

 自国、または国際社会の水準と比べて、日本が本質的な点、とりわけ道義性において劣る「悪い国」だとみなした上、当の劣位が半永久的に続くものと(暗黙のうちにであれ)位置付けるような言動を「反日(行為)」と呼ぶ。

 ポイントは二つ、道義性永続性です。単なる日本批判においては、日本側にも反論の自由があることが前提されているのに対し、反日には「そもそも日本は言い返す資格など持たない」とする含みがある。

 また国益の対立は、あくまで「損得」をめぐる話ですが、反日は「善悪」をめぐる問題。道義がからむぶん、話が絶対的になってしまい、議論や主張よりも「宣告」に近い性格を帯びてきます。しかもこの烙印は、今後もずっと消えないとくる。

 反日とは、道義性を媒介として日本を差別したがる言動の総称なのです。ただしこうなると、新たな疑問が生じざるを得ません。そんな差別的言動が、国際的に一定の影響力を持つのはなぜなのか? 常識的に考えても、「あいつはゲスだ、カスだ、クズだ」と罵って回る者は、周囲から相手にされないのがオチではありませんか。

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西部邁

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